2010年5月31日月曜日

誰が読んでいるのかよく分からないブログで感謝するのはいかがなものかとも思うけれど

先日はみなさまのご協力のおかげで先生の誕生日会を開催でき準備の時間が少ない中あのようないい会にすることができました。先生の古希のお祝いに大きく関われたことは、勝手な話ですが非常に嬉しいことでした。
あの日は最後に言葉を言わなくちゃいけないと思って前日からノート2、3ページにわたって考えていましたが、緊張を解くためにいつものようにビールやらワインやらをたくさん飲んでしまい、緊張はまったくしませんでしたが何を言うはずだったのか全く思い出すことができなくなっていました。
そもそもろれつがまわっていたのかさえ僕は分かっていません。ただ、断片的な記憶を遡っていくと何だか楽しかったなあという漠然とした感情が残っております。
みなさま、ありがとうございました。また来年!

2010年5月25日火曜日

国道の標識



さっきテレビを見ていたら国道1号線の標識が映っていた。それを見たら昨年の秋に福島から東京まで自転車で帰ってきたのを思い出した。あれは国道4号線だったのだけど、あの青い標識を東京までの頼りにしていたので、それが見えている限りは道を間違っていないから心強かったのを覚えている。そのとき感じた感情が非常に現実的に身体中に巡ってきた。あの不安な気持ちや好奇心や自信は今ではほとんど記憶には残っていない。
だからさっき国道の標識を見て思い出したことは自分では不思議に感じられる。ああ僕はまだそういうことを覚えていられたのか。
ああいう旅はもしかしたら二度としないかもしれないと思う。

2010年5月24日月曜日

無読は無毒である

本が読めなくなる期間がある。
字を受け付けられなくなる感じ。
そういう期間は大抵、多読した期間のあとにくる。
読書に飽きてしまうのだろうか。

その無読書状態が昨日まで一週間くらい続いた。
それ以前は、つまりゴールデンウィークの前後は、まあまあ読んでいた。
今日は久しぶりに本を読んだという気持ちになれるくらい読めた。

思い返せば、そういう読めたり読めなかったりという波は読書をし始めた大学一年の頃からあるような気がする。そのころは読書は暇つぶしみたいなところはあったから、読めない日は別にどうでもいいやと思っていた。最近は本でも読みたいなというような軽いモチベーションではなくて本を読まなくちゃという軽い脅迫観念じみたところがあるから、読めない期間は焦りといらだちを感じてしまう。ここ一年くらいのうちにも何度もあった。

それでも最近は新聞に毎日目を通しているので、そういう期間でもまったくの無読字ではない。内田樹は自身のことを「重度の「活字中毒」」と呼んでいる。「中毒」というのは「毒に中(あた)る」ということであるから、それはつまり「活字」という毒に中っているわけである。シニカル。

僕の精神は「「活字中毒」中毒」と言ったところであろうか。

2010年5月19日水曜日

相続税

祖父が亡くなって何日も経った。僕は葬式の三日後くらいに東京に戻ってきたからその後の行事については詳しく知らないけれどけっこうあるらしい。儀式的なものが大半を占めて、そのほとんどはかなり面倒な実務を伴う。その一つが遺産相続の問題である。昨日父親から相談を受けた。僕は今年税理士試験を受けるといっても、簿記論と財務諸表論というもので、法律関係の科目は受けないから相続税法は勉強していない。しかしせっかくだから来年以降の勉強も兼ねて相続の問題について勉強することにした。
そういうわけでブックオフに行き一冊買ってみた。しかしどうやら買った本は生前贈与するなど主に節税対策の話を本の内容の中心においているようだから、ささやかに失敗した。それでも後半部分に載っていたのでここから始める。

最初は故人にどんな財産があるのかということ。そして誰が相続するのか。当然ながらこの二つが重要である。どんな財産というのも細かくみると、土地・建物・固定資産・有価証券など様々であり価値の評価方法も各々である。単純に土地の評価でみても、それがどういう土地なのかということで相続税が変わってくるらしい。農地であればいくらとか宅地であれば・・・とか。
複雑である。

2010年5月13日木曜日

第六感

ゴールデンウィークに友人との旅行の計画を何となく取りやめて、
親の電話と兄が帰省するからという理由で何となく実家に帰って、
祖父の見舞いに行って長寿についての記事を何となく書いた4時間後に
祖父が亡くなったのは偶然なのだろうか。

第六感のようなものは存在するのか。
実際存在するかどうかは大した問題ではない。

第六感と言えば、僕の無意識的能力の中に地震予知がある。寝ていると地震が起こる直前にぱっちりと目を覚ますのだ。夜に寝ていて、何故かぱっと目が覚める。そしたら地面が揺れる。その最初の体験は2005年3月に福岡の西方沖地震である。そのときは佐賀に住んでいて目が覚めて、しばらくして大きく揺れていた。それ以降、地震の多い関東地方に住み続けていて何度もそのようなことを体験してきた。地震についてはまだ解明されていないことが多い。ただ地盤や岩盤のズレの解消が地震であるとすれば、それに伴って相当な摩擦が生じるに違いない。それで電磁波が発生するとも言われているから、それの影響なのだろうか。何が直接の原因で起きるのかは分からないけど、とにかく地震の直前に目が覚めるのである。地震の前に、イヌがに吠えるように、ネズミが逃げるように、鳥が大群を作るように、ナマズが激しく動くように、僕は起きる。
だからといって、何か物事を有利な状況に導けるかというとそうでもない。目が覚めたとしても、地震がくるから目が覚めたと知覚しているわけではない。最近はぱっと目が覚めたときは地震が起きるのかなと思うようになったけれど、それにしても直前であるから特に何か対策をとることができるわけではない。大きな地震の時は目が覚めたら助かるとかそういうのではないみたいで、その人の生死は運の良さが大きな部分を占めるようだ。兵庫県の西宮という場所で阪神大震災の直撃を体験したらしい僕の親戚は地震の間ずっと寝ていて気づいたら揺れは終わっていて部屋がめちゃくちゃになっていて驚いていた。
動物は自然の中で生きていくにあたり、その変化の兆しを鋭敏な感覚で受容してきた。というよりも、鋭敏な感覚を持っていない個体は強大な自然の力によって淘汰されてきたに違いない。だから視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚以外にも感覚があっても何らおかしくない。
祖父の死の予兆を僕が感じていた可能性は否定できない。それと同時に全くの偶然という線も否定することはできない。

2010年5月5日水曜日

長寿

知念カマさんという世界最高齢である114才の方が亡くなった。そして、現在の国内最高齢は長谷川チヨノさん113才となり、僕の実家がある佐賀県基山町在住である。
1896年生まれだそうで、明治29年である(明治は45年まで)。この年はどういう年だったのか調べてみた。
世界はまだ帝国主義が主流でありフランスがマダガスカルを植民地化していた。
近代オリンピックがアテネで始まった。
伊藤博文が総理大臣。
宮沢賢治や岸信介、スコット・フィッツジェラルドが生まれた年。
日清戦争が1894年で日露戦争が1904年であるからその間でもある。

それにしても色々調べてみるとおもしろいことが出てくる。ギネス世界記録に認定されている長寿記録はジャンヌ・カルマンさんというフランスの女性で122才で亡くなった。男性は120才で泉重千代さんという方であった。ちなみに108才で茶寿、111才で皇寿、120才で大還暦、昔寿と言うらしい。120才なんて今までいったい何人の人が到達したのだろうか。
そう思ったら、ギネス非公認の記録であればとてつもない数字がどんどん出てくる。
李青曇という中国の人は256才まで生きたらしいし、日本でも満平という人は193才まで生きたということである。その他にも150才超の人はたくさんいるみたいだ。ちゃんとした記録が残っていないから疑わしいけど、昔は生年月日を正確に記録するなんていう風習はなかっただろうから真偽が分からないのは残念である。

2010年5月3日月曜日

実家へ帰省

実家に帰省。新幹線の始発に乗るために昨日は徹夜。
4時51分の目白発、5時20分ごろ東京駅着。新幹線の改札のゲートが開くのは5時30分なので、改札の前に人が列を作って待っていた。ぴ。ぴ。ぴ。ぽーん。と時報の音がスピーカーから流れていて、5時30分になった途端に改札を多くの人が通って、新幹線に向かって駆けていく。ゴールデンウィークの新幹線の席取りは少し覚悟がいる。その日の東海道新幹線の午前中は指定席とグリーン車はすべて予約が埋まっていた。新幹線ののぞみの場合、車両数10くらいの中で自由席は3つしかないから、文字通りのイス取りゲームとなっていた。
僕は家を出発した時間が早かったから、かなり楽に席に座ることができた。
本を読んだり寝ていたりしたら、すぐに博多に着いた。いつもは18切符で2日間かけている道のりが、5時間で済むわけだから、あっという間だった。5時間座っているのは大変という人がいるけれど、僕にしたら5時間くらいなら楽だ。
6日の昼には東京に戻るから、あまりゆっくりできないのは残念である。博多駅に着いてホームに出た瞬間から豚骨ラーメンの匂いがした。今回の帰省中に一回は食べようと決意。