2010年7月21日水曜日

今日の東京は最高気温35℃らしいです。

試験日が近いのでそろそろ生活を朝型に変えていこうと思って、
今日は6時に起床して勉強している。






というのは、まったくのウソである。
早朝からあまりの暑さと直射日光で寝ていられなかったからで、
仕方なく起きてクーラーをつけているうちに目が覚めてしまったのだ。
試験日が近いのは本当であるから朝型の生活スタイルに変える必要はたしかにあるため、
仕方なしとは言え、夏の暑さに感謝である。
昨日も暑かったが、今日も暑い。
昨日の暑さについてはテレビの報道などで仕入れた情報であり、
太陽の出ている時間はほとんど外出しないことを決めた僕はその暑さを体感していない。
しかし今日のこのとことん暑い感じはもはや真の夏の暑さである。
さっき自転車を修理屋に持って行った際、水まきをしている道路を通ったが、
往路と復路の10分くらいの時間でほとんど道路に水は残っていなかった。
それくらい暑い。
冬の小笠原諸島なんかより断然暑い。
中学校くらいで、日本は温帯であります、と習ったけれど、
そろそろ、日本は亜熱帯になりつつあります、と変わるのではないだろうか。
あの日本よりも北の方にありそうなロシアも今日は40℃超えるかもしれないらしいから、
これがグローバルな気候変動や異常気象であるのは間違いない。

試験が終わったらキンキンに冷えたビールと、冷たいスイカをうだるように暑い部屋で飲み食いしたいと思った。

2010年7月20日火曜日

get a geta

このところゲタを履いている。
昨年、福岡大宰府の店で買って以来、ごくたまに履いていたのだが、
この前、他の草履が摩耗により壊れたため、ゲタの重要度が増しているのである。

ゲタの人の足をのせる部分を台と言い、台の下に歯と呼ばれる木が1~3個くっついている。
さらに台に鼻緒が通っている。
僕の持っているゲタは歯の部分がゴムでできている。アスファルトやコンクリートの地面で履いていると木製の歯は二三ヶ月でダメになるらしいというのと、音がうるさいという理由からゴム製のゲタが誕生したらしい。
ゴム製のゲタでも結構うるさいが、、、

男子学生が崩れた洋服などにゲタを履いているのをバンカラというらしい。
崩れた洋服と言いゲタと言い、まさしく僕はバンカラそのものであった。ちなみにバンカラはハイカラに相対する言葉である。

ゲタを履いているとうるさい音の他にも色々と問題が生じるから以下に一部を記す。
・木製の板だから長時間履いていると接している足の裏にまめが出来る。
・硬いから歩くときの衝撃をほとんど吸収しないから足首が疲れる。
・鼻緒の部分と擦れて痛い(これはだいぶ慣れた)。
・階段など足場の狭いところでよくバランスを崩す。
・歯がゴム製だと雨の日やたら滑る。

最近、色んなところでゲタが売られているのを見る。
もしかしたら、ふるきよき日本にあこがれる人たちが思わず買ってしまうかもしれないけど、
おそらく無用な事故が増えるから履かない方がいいと思う。
日本の都会はゲタ履きには厳しいから。

2010年7月18日日曜日

坊主

ドイツに行くにあたって、治安のことを調べていた。
だいたい治安はよいらしいのだけど、
フランクフルトは犯罪発生率が高いらしい。
旅行の本を読み進めていくと、
ベルリンにはネオナチという集団が存在するらしい。
ネオナチは名前のとおり、
ヒトラーの思想を受け継いで活動しているらしい。
ネオナチの象徴はスキンヘッドらしく、
僕はつい先日スキンヘッドにしたので
これでは確実に間違えられてしまう。

2010年7月15日木曜日



夜も更けたので寝ようかと思い部屋の電気を消したら、
ピンクの光が窓から入っているのに気づいた。
窓を開けてピンクの光の正体を見極める。
UFOの可能性もあったが、朝焼けであった。
いつの間にか朝になっているようだ。

空がなかなかきれいなので
寝るのはよして散歩してみようと思った。

夏の朝は昼間と同じくらい明るいのに、
人がまったくいないことが多い。
まるでゴーストタウンのようである。

僕はその感じが好きなので、
毎夏に一度や二度、早起きして外に出て写真を撮る。

早朝とは言ってもノラネコやカラスにとってはしっかり活動時間のようで
朝食をとっていたりのんびり朝の散歩をしている。

2010年7月6日火曜日

試験前

試験一ヶ月前になったので寝ては勉強して寝ては勉強しての引きこもり生活になってきた。
試験勉強は直前の時期にいかに効率よく勉強できるかがその試験の合否に多大な影響を与えると思う。
それより前の期間は直前時期の為の土壌を作るための期間である。

この直前時期はとても勉強が楽しく感じられる。

2010年7月2日金曜日

だまされた。

だまされるのにはだまされる方にも責任があるというような言葉があるが、それは第三者的見地からの達観した見方であり、だまされた当人にとっては悲しく屈辱的でその相手に対して激しい怒りと軽蔑の感情を覚える。
どれだけ怒りの度合いが大きくても、僕は解決の道が閉ざされた問題に関してはできるだけ忘れるというスタンスをとろうと心がけているので、かくなる上は記憶を呼び覚まそうとするすべての品を処分してしまうことが一番である。

何にだまされたのかというと読売新聞である。どういう出来事があったのかを簡単に記そうかと思い、書いていたら途中でそれ自体がバカバカしく思えてきたのでやめる。
とにかく一日も早く忘れてしまい、だました人間の不幸を祈るばかりである。

今回の件で驚いたのは二点である。
世の中にはだます人間がちゃんと存在しているのだということ。
そしてその嘘は子どもじみていて、大してテクニカルではないこと。

まさかそんなの嘘にはしないだろうというような嘘というのは案外ひっかかってしまうものなんだなあと思った。なるほど世の中は厳しいものである。