2011年1月27日木曜日

いま僕がいるところ



夜はこないでほしい。そういう子どものような気持ちになったのは久しぶりだ。
とても寒い松本。ただいま松本-3℃。

結婚披露宴のスピーチをしたとき、前日から緊張して3時間前から胃が痛んだ。あの緊張感の状態を通って、緊張することがあっても、あのときに比べればまだまだだなあと思えるようになって、だいぶんいろんなことが大丈夫になった。

本日、東京に帰る。これから1年で一番寒い2月が来る。でも1月の松本に比べれば東京なんてまだまだだなあと思えるようになるだろう。

2011年1月20日木曜日

東京ファイティング キンジョ リターン

本日、インタビューの日です。
さて早く寝ようかなと思っているのですが、隣の部屋がドンドンとうるさくて、気になって眠れないのです。すごくうるさくてちょっと隣の部屋に行ってどなってこようかと思ったりしています。しかし、それには言語の壁という問題が立ちはだかっています。要するに隣人は外国の方なのです。いや本当に、どこの国の言葉か分からない言語をまくし立てていて、厳密に言えば喧嘩なのかどうかも判別不能です。多分おそらく、あのわめき具合いや声の量や壁を伝ってうちのマンション全体に響いている物音から考えると喧嘩でしょう。
僕の隣の部屋の片方は会社のオフィスになっています。その会社がこのマンションのオーナーなのです。そして反対の隣の部屋というのは、数々のトラブルがあります。僕が今の部屋に住んでから、隣の部屋は何度も住人が変わっています。何度、住人が変わっても日本人が入ることはありません。一度なんか、不法滞在の外国の方が住んでいたらしく、警察に連れていかれていました。池袋や新宿や大久保などが近い目白のこのマンションは、そこまで高くない家賃のお陰で外国の人たちが入りやすいのでしょう。僕が東京に来る前に観たドラマ「池袋ウエストゲートパーク」さながらです。
そうこうしているうちに隣の喧嘩は終りを迎えたようです。よかった。と思ったらまたドンドンやってる。
やれやれ。

2011年1月3日月曜日

ゴッホ展

ゴッホ展へ行ってきた。
福岡でのゴッホ展は1月1日から始まった。今日は1月3日であるからまだまだ人が多かった。
開催されている九州国立博物館は、九州随一の初詣スポットと言ってもいい太宰府天満宮に近接している。つまりその場所へ行けば、初詣とゴッホ展が同時に楽しめるのでコストパフォーマンスが高い。そう踏んで来ている人間が大半であると僕は考えている。
むろん僕はそんなことはしない。神様へのご挨拶という新年の晴れやかな行事をセットメニューで楽しむなんて言語道断の行為である。と、そういうことまでは思い至らなかったのは、あまりの人の多さに辟易してゴッホ展後はすぐに帰りたかったからである。

ゴッホ展自体はとてもよかった。ゴッホは27才のときに画家になることを決めてそれから死ぬまでの10年間創作活動をした。27才でふらふらしているあたりは、自分と重なってとても親近感が湧いた。なるほどゴッホも27才まで己の生きる道を考えていたので大丈夫だ、と思ったけれどゴッホは死ぬまでに1枚しか絵が売れなかったのを思い出し僕の燃え上がった希望の火はたちどころに小さくなった。解説にあったけど初期のゴッホは絵が下手である。詳細はとても細かいけれど全体のバランスはひどい。そして次第にそれが改善されていく。晩年は精神に異常をきたしたということで療養所に入れられ、その内側でしか絵を書くことができなかったけれど見事な絵ばかりだった。彼ももっと長生きしていたら、生きているうちに認められたかもしれない。

ゴッホに影響を与えたということでモネの作品が展示されていた。モネの絵はいい。モネ展がBunkamuraで開催されているから行かなくては。

2011年1月1日土曜日

2011年初日

今年も元旦から有意義な生活を送ることができた。そもそも年が明ける0時の瞬間は家にいたが、その30分後には近所の神社へと足を運んでいた。友人2人と初詣に行くのは昨年と同様である。昨年は学問の神様である菅原道真公を祭ってある太宰府天満宮へと行った。天満宮とは菅原道真を祭神とする神社である。菅原道真は当時の政局に敗れ京都から福岡太宰府へ左遷となった。そして、そこで生涯を終えるのであるが死後の霊力があまりに凄まじくそれを抑えるために天満宮を作ったのである。今では学問の神様として多くの受験生たちが自己の目的の達成のためゴマをすりに行っている。今年は正月三が日の人出予想は300万人ほどらしい。
そういうところへ昨年は行って、寒い中3時間も行列に並ぶはめになった。その並んでいる途中、日本人と信仰心について友人と思想的意見の対立が生じ大激論となる。
今年は九州に寒波が来ていて雪が降っていた。そのような寒さの中、並んでいたらイライラが募り昨年どころの激論では済まないかもしれないので近所の氏神様へ参拝してきた。それなりに大きな神社であるので田舎の神社とは言えどそこそこ人の数はあった。人が多いのはイヤだと言っても初詣の雰囲気は味わいたい。自分たち以外に誰もいない薄暗い神社へ行ってお神籤もひかずに帰るのは寂しい。だから今年行った筑紫神社という場所の選択は大正解であった。お参りは二礼二拍手一礼を意識しすぎて、願い事を祈るのを忘れてしまっていたこと以外は概ね順調であった。お神籤をひけば大吉が出る。寒いと思っていると熱燗をくれる夢のような神社であった。
そのようにして僕たちは何事もなく年を明かしたのである。

その後、家へ帰り寝る。昼前に目が覚めて飯を食い近所のドトールコーヒーへ向かう。友人は11時の開店直後から行っていたらしい。僕もそれに負けじと2011年初ドトールをする。ドトールへ行って読書をしようと思ったのだが、友人が「葉隠抄」を読んでいて暫しそれについて有意義な話をしてしまった。
そして一度は帰宅するが、別の友人と同じドトールへ行き、また話をする。ドトールへの道すがらスマートフォンについて話す。ドトールでは僕と友人のどちらも作業をする予定であったが、話をしてしまい何も進まず。

さてこの1日で2011年について色々考えたことがある。「一年の計は元旦にあり」と言うように今年の計画を立てたのだ。今年は読書の数もさることながら、その質を高めるために古典を読むことにする。数の目標は古典を20冊、それ以外で50冊くらいが妥当だろうか。それくらいだと2010年のペースくらいで達成できそうだ。ブログは1週間に1回はまともな文章を書く。
それ以外はあまりに不明であるから未定である。今年は昨年よりも楽しいものであることを願う。

謹賀新年


あけましておめでとうございます。
2011年もよろしくお願いします。

話題のウサギくんです。