2011年6月28日火曜日

再会

震災後、初めて陸前高田の知り合いと会うことができた。会うことが決まってから緊張していた。相手の心の状態がどのようか分からない中でどこまで踏み込めるのかが、それを鈍感な自分に分かるのかという不安を抱えたまま対話しなければならないからだ。それを気にしながら話すのは緊張する。その心配は杞憂に終わったほど表向きは元気な様子だった。そうではないのだろう。
その方の話は恐ろしかった。津波が来る直前に一緒にいた人たちと別れて、違う方向に避難した何人かが亡くなったらしい。その生死を分けたのは逃げたところにたまたま津波が届かなかったという”たまたまのこと”だと言う。聞きながらうーむと思ってしまった。分かってはいたはずなんだが。あの日の大津波は人間の力を凌駕していて、テレビやネットから得た情報を元に冷静に論理的な想像を僕も巡らしてはいたのだが、体験した知り合いの声を通して聞いて僕の心の深くに届いた。
3月11日、僕は陸前高田に行く予定ではなかったが、僕があの街にいた可能性はゼロではなかった。もしかすればいたかもしれない。そして、個人の知恵や能力の及ばないところで生死が動いているということを直前まで一緒にいた人の死や若しくは自分の身を持って実感させられたかもしれない。
恐ろしい話だ。そしてどうしようもない。
だから僕はその方が生きていてくれて嬉しいということを伝えた。悲しいほど陳腐なセリフだが。