2011年7月10日日曜日

気 趣 偏 考

先日、携帯電話を変えた。4年振りである。4年前は最新機種だった携帯も毎日毎秒の労働により満身創痍になりいろいろと不具合が出てきた。4年だからおよそ1億2千万秒の間、ほとんど休みなく電波を待っていたのだ。ほとんどの時間をともに過ごした携帯に情がわいた。お疲れさん、ゆっくりしてくれと思う。

新しい機種はスマートフォンで、スマートフォンにはボタンがほとんどない。必要に応じてタッチスクリーン上にボタンが発生する。そこがスマートフォンのいいところであるが、悪いところでもある。今まではだいたいどんな問題が起きても、電源ボタンさえ押せば、重大な結果には至らなかった。しかしその電源ボタンがないのだ。買った当日の深夜に、友人の自宅へ発信してしまった。あわてて電源ボタンを押そうとしたが、それがない。あれこれして止めることができたが、深夜の友人宅に10数回コール音を響かせてしまった。

そういうことがあったので携帯電話の中にあった友人自宅の電話番号・二度とかけないであろう知人の電話番号などを全部消去した。二度とかけないと思っている人が、けっこうな数いた。そうして電話張の整理をしているときに、祖父母の家の電話番号を見つけた。祖父母は亡くなったので、もうこの家に電話をかけても誰も出ない、というか電話は解約されているはずだ。だからかけても繋がらないであろう、この電話番号は一番必要がないものだ。しかしその番号を消すとき、一寸躊躇してしまった。

たかが10ケタの数字の羅列の記録から、4年前は祖父母が生きていたこと、そこに住んでいたこと、しかしその電話番号をとうとう一度も使わなかったこと等、色々考えてしまった。