2011年8月4日木曜日

試験後

8月2日に試験があった。税理士の科目試験だ。今年の東京の試験会場は東京ビッグサイトだった。クーラーの節電のためだろう、広い空間に何千もの机と椅子が並べられているという異様な雰囲気でもあった。
試験の出来はよく分からない。できてはいるが、ほとんどは計算問題だ。感触はよかったが、数値が違っていたら惜しくても駄目だ。発表まで分からない。発表はいつものように12月だ。

ここ最近は試験勉強くらいしかしていない生活だった。そんな生活とプレッシャーから解き放たれたのはいいことだが、他にやりたいことがないのでそれほど嬉しい感情は湧いてこない。合格発表がでるまでの間が長いことや、その間生殺し状態が続くことも要因だろう。

そしてこれまで試験があるからと言って、避けてきた諸問題に直面しなくちゃならない。複雑で重要な問題がたくさんある。これからどこに住むかや働くことなど根本的な問題だ。もう目を背けていられない。それなのに未だに僕は試験が終わってから虚脱感をまとい、出来るだけ問題の解答の期限を先延ばししたいと思っている。

今日読んだ本のある一節が妙に心に響いた。

「わたしたちはふつう、成長するということはさまざまの属性を身につけていくことと考えているが、ほんとうは逆で、年とともにわたしたちはいろいろな可能性を失っていくのではないだろうか。(『じぶん・この不思議な存在』鷲田清一)」

僕は「可能性を失っていく」ことをおそれすぎている気がする。だから問題の解答の選択に悩んでいる。正しいか正しくないかで悩んでいるわけじゃない。選択することによって消えていくあの可能性やこの可能性の価値の甲乙を量りかねているのだ。こんなおそれはそもそも破綻していることは分かっているのだが。