2012年1月1日日曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
僕が書くまでもなく、昨年2011年は大変な1年でした。国内では震災と原発。国外ではアラブの春。 震災の津波ではお世話になった陸前高田の方が亡くなりました。 地震が起こった時、僕は東京の家にいました。以前から起こると言われている東海地震かと思うほどの揺れでした。まさか震源地がとても離れている東北地方とは思いもしませんでした。そうしてテレビをつけると、ヘリコプターの視点から僕の知っていた陸前高田の街が、逃げ惑う車と共に津波に飲み込まれていく様が映し出されていました。その映像を見ながら僕は、何か大きな存在に対してもうやめてくれと心の中で訴えていました。 何もできないけれど何かをしたいと思い、知り合いの安否をインターネットで調べ始めました。知り合いの生存が少しずつ確認されていきました。 僕がお世話になった陸前高田の集落は山間にあったのでほとんどの方が大丈夫でした。しかし、生存確認ができないまま1週間、2週間、3週間、1ヶ月、2ヶ月と過ぎていき、生きていないことを認識した人も何人かいました。 その場へ行って何かしたいと思いながらも行ってどうするんだとも思い、時間が流れていきました。そうこうしている間に知り合いの遺体が見つかったので葬式があるという話を聞き、陸前高田へ行くことにしました。 どんな状況なのか映像で見ていて知っているつもりでしたが、まったく何も分かっていませんでした。僕が行った時は震災からもう半年経っていて、錆びたクルマや瓦礫は集められていて、それ以外の場所は5箇所ほどの大きな建物と何もない空き地になっていました。それは僕が子どもの頃に見ていた古い工場とその隣にある空き地を思い出させました。その場所に立って津波の痕跡を見上げると、そのあまりの高さに僕は言葉を失いました。
あれから3ヶ月経っても、僕の中では全く整理できていなくこれから先整理し得るのか分かりません。ただ、僕が10月から仕事を始めたことは、一連の出来事で僕が感じた、自分の無力さと少なからず関係があります。 これまで何となく震災のことや震災をきっかけにして変わった個人的なことを書くことは気分が乗りませんでした。しかし、やはり僕にとってどんな位置付けの1年だったのかを書き記しておきたい気持ちはありました。未整理で未消化の事柄で、核心の部分はほとんど書けていないけれど、少しは形にできて良かったです。
本年はいい年であることを切に願います。それでは今年もよろしくお願いします。