2013年10月17日木曜日

仕事

仕事をしていない人と関わることが公私共に多い僕は、その事情に同情できない場合ほとんど「さっさと働けよ」と思ってしまう。過去の自分を棚に上げているから説得力なんてないなとはっと思い返す。
僕の心の奥底には「働きたくない」って気持ちがあって、それを自覚しつつなお働いているので、だから働いていない相手に対して軽蔑の気持ちが沸きやすい。
一方でこんなに進歩したはずの21世紀の日本でこんな労働環境でいいはずがないという気持ちを持ち、他方で現代社会で生きていくのだからと自ら疑問に感じている労働に導こうとしている。
どちらが正しくてどちらが悪いという問題ではないのは分かっていても、思い返す度にいつも自分が足下から揺さぶられている。

2013年9月29日日曜日

ジャズバー演奏感想

昨日、ジャズバーにてギターを演奏した。
いつか弾きたいと思っていて、頭の中では今年の年末くらいにと考えていたから、曲の準備も仕上がっていないし、緊張と飲酒により曲の途中で頭が真っ白になってしまった 。なんせ昨日はただ飲みに行っただけなんだから。
頭が真っ白になる程、人が入っていたわけでも注目されていたわけでもないので、単なる僕の自意識による自滅だった。要するに自分の内面に負けちゃっただけである。
家では手を抜いてでも弾ける曲も、いつもと違う環境で弾くのは、自分の出している音の大きさや聴こえ方さえ全然違うところから、大きな違和感を感じ焦り失敗し焦り真っ白になり焦りという悪循環に陥り、場数を踏んでいない僕はその流れに飲まれてしまい、溺れた。
最後、店のマスターは優しい言葉をかけてくれたが、僕は自分の演奏の不甲斐なさを実感してる真っ最中だったので、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったし、悲しかった。もっと俺はそれなりに弾けるさと思ってたんだけどもなあ。
次回こそは納得の演奏をと思うのだけれど。。。

2013年9月17日火曜日

夏の終わり

ここのところこの先どうしようかとまた考えている。この先というのは殆ど仕事を転職しようかどうかという話に集約される。人生は仕事だけじゃないといくら言ってみても、どうやって生計を立てるかが大きな問題になる。
仕事を決めると言っても、内容やポジション、賃金等考えることは尽きない。僕がここ何年か座右の銘にしている「どんなことでも考えるべきことと考えぬべきことの見極めが大事」は簡単じゃない。全てのことを考えて悩んで対峙することと何も考えずに答えを出すことの間のどこかの妥協点で行動するしかない。
こうやって人生訓っぽいことばかり思いついて書いても、何も進まないということはここ何年か書き続けて分かった。
今年は何か変えないと!と秋の初めに思う。

2013年9月9日月曜日

2020年のオリンピックの開催地が東京と決まったその日、僕は友人二人と読書会を開いた。二人は九州に僕は東京にいて、スカイプを通じた読書会は回線の不調はあったものの、なかなか快適だった。 今までの僕達の読書会は対面式で、大抵はドトールコーヒーで机を囲んで話し合うスタイルだった。読書会はそんなスタイルが合っている気がする。しかしこの何年か僕が帰郷するのが不定期で、それを待っていたらいつまでたっても読書会が身につかないよと待ちきれなくなった三人の総意でそんなスタイルとして開かれたのだ。 この方法を使えば、今までのようにお盆と正月だけの読書会から季節に一回、さらには月に一回の開催も十分可能だろう。あとは僕達が本を読む時間さえ作ればいい。 会話が回線を伝っていくから若干のタイムラグがあったり、音質の乱れがあったり、指示語が使いにくかったり、映像は観られないし、色んな問題はあった。でも今後の読書会への偉大な一歩になったと思う。

2013年5月23日木曜日

仕事1

仕事が大変だ。悩みのほとんどは人間関係であるとはよく言われていて、本当にそのとおりだと納得する。

あの人はなぜあんなに不機嫌なんだろうか。敵意を向けてくるんだろうか。言葉に刺があるんだろうか。怒るのであろうか。
理解できなくて、理解したくもなくて、こちらはこちらで怯え、自分からは歩み寄ることはしない。そしてますます遠ざける。 そういう人を前にして僕は何かをすべきなのかもしれないけれど、何もしない。嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。
いつかこの仕事を辞めて、その人との関係が切れたとしても、記憶の中で僕はその人をネガティブな人としてカテゴライズする。

くだらないものからでも何かしら学ぶことができるというのは村上春樹あたりが言っていた言葉であり、僕の持論でもある。