2010年12月18日土曜日

読書

毎月15冊読みたいけれど、なかなかそういうわけにはいかない。
極限まで無駄を削らなくとも達成できそうな数字であるけど、いっぱいいっぱいである。

僕が本を読む、大きな理由の一つは知識を得ることである。
大学に入りたてのころ、複数のサークルとNPOに入った。その中で活動を続けていきながら、いくつかのことを学んだ。
ギターを弾く人は傲慢な人間が多い。不思議なことだけど、傲慢な人はドラムやベースなどに比べて圧倒的にギターが多い。僕は見た目で威圧しているので傲慢な人間からの面倒な出来事は回避することが多いけど、それでも何回かそういう面倒に巻き込まれたし、同期の友人たちは一層巻き込まれていた。
音楽バンドの中でボーカルとギターは花形であるから、目立ちたい人がそれを務める。というよりも目立ちたいからそれを練習するわけだけど。ギター、とくにエレキギター奏者は難しいギターソロを弾くことに情熱を傾ける。そうした楽器の練習は孤独である。孤独をいつの日からか孤高と考え出すようになる人間が多いんじゃないだろうか。という理論を僕は考えた。
僕はギターが下手なのでギター至上主義者から見ればゴミみたいな存在として扱われていた。でもそういうのにいちいち腹を立てていたらいけないということに気づくのは、ギターサークルをやめた後であって、いつもイライラしていた。
ギターサークル以外のサークルや学科やNPOでも何かしらの順列があって、何だか理不尽なことが幾度もあった。
そういうのを避けるには相手を完膚なきまでに叩きのめすしかない。それは暴力以外の方法では理論武装しかないという結論に達し、知識習得のため本を読み進めるようと思っていた時期もある。
最近はそんな攻撃的なことは考えていないけど、物事を正しく考えたいがために知識を得たいと思っている。

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