2010年12月31日金曜日

年賀状

大晦日に年賀状を書き上げた。実家で印刷しようと思ってデザインを作りながら帰省したのに、実家のプリンタの使用法を誰も知らないので手書きするはめになった。ハガキみたいな白紙に文章を書くのは難しい。ノートのように線があればまだマシなんだけど。近所の本屋でハンコを買い、喫茶店で書いて押し書いて押しを繰り返し何とか終えた。最初の2枚と最後の2枚以外は丁寧に書いたけど、あいだの何枚かは字は汚いし、ハンコを押すのさえ失敗しているものもある。

年賀状を書いていると今年とか本年とか昨年とか去年とかいつのことだか混乱することがある。書いているのは2010年だけど相手が読むのは2011年だから本年は2010年を意味せず2011年を意味するわけだ、なんてことは瞬時に判断できないから思わず「来年もよろしく」なんて書きそうになる。今回、その失敗はしなかったけど、「いま九州にいます」を「いま丸州にいます」なんて書き間違いをしてしまった。書いてすぐに気づいたけど、ペンで書いたので消せない。しようがないから丸のノの部分を太くして州と書いた。こういう字の間違いはパソコンで作る年賀状にはないだろう。変換ミスという形に姿を変えているんだろうか。テクノロジーが進んでも使うのはついうっかりする人間なのでうっかり間違いは起こり続けるだろう。

年賀状が手書きになったので、整理解雇された2011年ウサギくんはこのブログに登場してもらうことにする。2011年最初のブログにその姿をお披露目することになる。

2010年12月28日火曜日

帰省

あと3時間したら電車に乗る。
祖父母の家に泊まる。

先日、91才の祖父が肺炎になって入院していた。
僕も6年前に肺炎になって40度の熱を出してその辛さが分かっていたので老人には耐えられないかなと思い覚悟していたけど回復して、明日退院するようだ。
よかった。一安心である。

さあ旅の準備の仕上げをしなければ。

2010年12月24日金曜日

誕生日

今年も12月24日になった。
僕にとっての12月24日はクリスマスイブではない。
僕の誕生日である。
年齢が一つ加算されて26才になる。

12月24日が誕生日だと同情されることは多いがそれほどのことでもないと思う。
誕生日ケーキを買おうと思ってもメリークリスマスのプレートつきのケーキしかないとか、誕生日のプレゼントはもらえないとかあるけど、誕生日を覚えてもらいやすいメリットがあったりするので、どちらでもいい気はする。それよりもっと年末に近づいていくとかわいそうな気がする。大晦日や正月に誕生日だったりすると、多くの人に忘れられる。

12月24日は、村上春樹の「風の歌を聴け」の主人公「僕」の誕生日でもある。

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「冬にはまた帰ってくるさ。クリスマスのころまでにはね。12月24日が誕生日なんだ。」
(「風の歌を聴け」134ページ)
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「ハッピー・バースデイ、
そして
ホワイトクリスマス。」
と書かれている。僕の誕生日が12月24日だからだ。
(「風の歌を聴け」149ページ)

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ついでにこの「僕」は大学で生物学を専攻しているところも僕と同じである。だからこれは僕について書かれた物語であるというのは早計であるが、何かを暗示していると考えてみる。つまりこれから僕は「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」的生活を送るのかもしれない。
そういう人生でありたいと思う一方で、あれは大変そうだなと思う。

2010年12月18日土曜日

読書

毎月15冊読みたいけれど、なかなかそういうわけにはいかない。
極限まで無駄を削らなくとも達成できそうな数字であるけど、いっぱいいっぱいである。

僕が本を読む、大きな理由の一つは知識を得ることである。
大学に入りたてのころ、複数のサークルとNPOに入った。その中で活動を続けていきながら、いくつかのことを学んだ。
ギターを弾く人は傲慢な人間が多い。不思議なことだけど、傲慢な人はドラムやベースなどに比べて圧倒的にギターが多い。僕は見た目で威圧しているので傲慢な人間からの面倒な出来事は回避することが多いけど、それでも何回かそういう面倒に巻き込まれたし、同期の友人たちは一層巻き込まれていた。
音楽バンドの中でボーカルとギターは花形であるから、目立ちたい人がそれを務める。というよりも目立ちたいからそれを練習するわけだけど。ギター、とくにエレキギター奏者は難しいギターソロを弾くことに情熱を傾ける。そうした楽器の練習は孤独である。孤独をいつの日からか孤高と考え出すようになる人間が多いんじゃないだろうか。という理論を僕は考えた。
僕はギターが下手なのでギター至上主義者から見ればゴミみたいな存在として扱われていた。でもそういうのにいちいち腹を立てていたらいけないということに気づくのは、ギターサークルをやめた後であって、いつもイライラしていた。
ギターサークル以外のサークルや学科やNPOでも何かしらの順列があって、何だか理不尽なことが幾度もあった。
そういうのを避けるには相手を完膚なきまでに叩きのめすしかない。それは暴力以外の方法では理論武装しかないという結論に達し、知識習得のため本を読み進めるようと思っていた時期もある。
最近はそんな攻撃的なことは考えていないけど、物事を正しく考えたいがために知識を得たいと思っている。

2010年12月16日木曜日

みかん

みかん。ずいぶん前に知り合いからもらったみかんがあって、そのみかんは時期はずれのものだったから味が薄かった。
甘いくても酸っぱくても濃い味のみかんが好みの僕は、その薄味のみかんは放っておいた。キッチンにあるメタルラックの一番上の段に置きっぱなしにしていた。一番上の段だからみかんの状態はあまり見えない。でもまあ辛うじて見える範囲では全然問題ないようだったので放置をし続けた。捨てればいいのだけど食べ物を捨てるのは憚られるから食べられない状態になるまで待っていた気持ちも少しある。いや、腐らなかったら一年でも置いておいただろうから少しの気持ちではない。
そのみかん群は見事に腐っていた。遠慮なく腐っていた。あれほど腐っているみかんは見たことない。
みかん群の一番下みかんはもはやみかんの形ではなかった。ナウシカの巨神兵の最終期みたいな状態。みかんがカビを侵食しているのがみかんなのかすら判別できない。写真を撮りたかったけど、気持ち悪くてやめた。

2010年12月15日水曜日

平川克美氏講演

立教大で行われた平川克美さんの講演会に行った。平川さんは、ビジネス成功への方策は戦略を立てることではなくいい商品を作ってそれを売ることであるという。僕は著書でその考えを知っていたが、改めてそう聞くと新鮮に聞こえる。しかし当然過ぎるほど当然な話である。
それを説明するのに二重の交換とInvisible Assetという話が出た。二重の交換とは、モノとお金の等価交換と商品や企業に対する信用と信頼の不等価交換。Invisible Assetは「眼に見えない資産」であり、BS(貸借対照表)やPL(損益計算書)はこのInvisible Assetの後からついてくる結果の話であるという。ふむふむと納得する。

僕は今までビジネスについてまともに勉強していたわけではないから、ビジネスについての考え方やそれに関連する用語についての知識はテレビなどのマスメディアから無尽蔵に送られてきた情報からしか得ていない。そうして得てきた情報を思い返してみると戦略やビジョンの持ち方などに関するものが多いかもしれない。もしかしたら平川さんの主張のような意見を聞いていたとしても、そうではないものにかき消されていた可能性もある。
実際に第一線で働いている経営者からそういう当然の事柄が聞けてよかった。

思考形成は家族から始まる。その前提からのエマニュエル・トッドの家族制度と会社の関係の話も面白かった。しかし僕が考えさせられたのは「自分で考える」ということ。

よく聞く。「自分で考える」ということは色んな人が色んなところで話していて、僕はその度に「よく分からないこと」にカテゴライズして、その問題から通り過ぎていた。しかし今回、平川さんから聞いたその話は不思議なことにいつものように通り過ぎることはできなかった。
それで「自分で考える」について自分で考えているのだけど、考えれば考えるほど難しいことに気づく。自分の知識は読者など外部からの情報によるものから形作られていて、無意識のうちに人が考えたことを流用しているだけかもしれない。
そういう観点から考えると、読書によって新たな知識を得れば得るほど自分で考える領域が減るのだろうか。でも読書が悪いことだとは思いたくないという気持ちは強くある。そういうジレンマに陥った。

とにかく今日の講演会は有意義だった。また聞きたい。平川さんは来年4月から立教MBAコースの特任教授に就くらしい。MBAという選択か…。

2010年12月10日金曜日

ノルウェイの森

明日から「ノルウェイの森」の映画が公開される。
観に行きたいような、行きたくないような。
好きな小説の映像化作品に興味や関心はあるが期待は抱けない。いま胸中にあるのは、観た後に感じるであろう失望への恐怖だ。やっぱり映像化なんかしない方がよかったという感想をきっと持つだろう。これはほとんど決定的だろうから、問題はどの程度の失望なのか、許容範囲内か、ということでしかない。
ありとあらゆる酷い感想が想定できても、映像化への興味に負けて観に行く気がする。

そういうことを考えて、公式サイトを見た。
たぶん予想は外れてないと思う。

2010年12月7日火曜日

松本いき


この土日、長野の松本へ行ってきた。知り合いの家だ。
松本はだいたい標高700mにあるらしいので、東京スカイツリーよりも高い位置にあるらしい。
そういえば、高速バスで松本に近づくにつれて、気圧の変化で耳がおかしくなっていったのを思い出す。
そういうわけで松本はとても寒かった。朝は、水たまりが凍っているくらい寒い。
そうは言っても僕が滞在した二日間はとても温かい日だったらしい。
写真は日本アルプス。とてもくっきり見えた。これだけくっきり見えるのは珍しいそう。

松本の夜に見える星の数は多かった。先日、帰省したときに見た九州の夜空にも星がたくさんあった。
あらためて東京で見える星の数の少なさに気づく。

ふだん見えてないことに気づくのは見えたときだけだ。

2010年12月3日金曜日

時間銀行

友人が時間銀行についての悪口を書いていたから、
僕も時間銀行について文句を書こうと思う。


時間銀行とは、時間の価値をお金を例に説明するものである。
①毎朝、銀行に入金がある。
②そのお金は期限付きで24時間後に消える。
③お金を使っても使わなくても別の問題は起きない。
④このお金のように時間も毎日消えていってる。


いや、もったいない。
誰が考えたのか知らんけど、ひどい考え。
ひどいというのは言い過ぎか。
少なくとも無駄話だ。


なるほど。時間銀行を批判する時間すらもったいない。
さっさと文句を書こう。たくさん問題があるけど一つに絞る。

二つ以上のものを比べるとき、普通は共通点と異なる点を列挙する。
それで、この観点では共通していて、あの観点では異なっている、という形にしなければならない。

お金と時間についても同様に考えてみる。
僕が想像しうる2つの共通点は「大事だ」ということだけである。他にあるだろうか。

時間銀行の説明では、何もしなくてもお金が入ってきて消えていくという仕組みを創りだして、時間との共通点を作る。


だから僕が時間銀行を気に入らないのは、無理に作られた共通事項から出発して、あまりに自明である共通点「大事だ」という結論へ落としていることだ。つまり、無理やり共通事項を作り出せば、どんなものでも置き換え可能である。


友情って大切だ。お金も大切だ。この2つで友情銀行という概念を作る。
①友情の質と量によって入金がある。
②日々刻々その入金額は変化する。
③関係が悪くなると入金額が減る。
④このお金のように友情も変わる。

だから友情は大切にしよう。こんな具合か。
少し違うかもしれないけど、それを指摘するなんて行動はもったいないと思います。

2010年11月30日火曜日

11月読書

11月は12冊読んだ。もっと読める。スピーチ作るやなんだかんだで読めなかった。
新書だけだったら20冊は読めると思う。でも読みたい本を読まなきゃ勿体ない。
最低でもひと月10冊読む生活を続けていこう。

ゆきお本棚
2010年11月
アイテム数:12
経済成長という病 (講談社現代新書)
平川 克美
読了日:11月04日

9条どうでしょう
内田 樹,平川 克美,小田嶋 隆,町山 智浩
読了日:11月05日

宗教の最終のすがた―オウム事件の解決
吉本 隆明,芹沢 俊介
読了日:11月06日

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル,Michael J. Sandel
読了日:11月09日

鍵のかかった部屋 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
ポール・オースター
読了日:11月10日

幸福論
吉本 隆明
読了日:11月15日

超戦争論 上
吉本 隆明,田近 伸和
読了日:11月15日

真贋
吉本 隆明
読了日:11月18日

子どもは判ってくれない (文春文庫)
内田 樹
読了日:11月22日

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方
柴田 元幸,高橋 源一郎
読了日:11月23日

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2010年11月28日日曜日

披露宴スピーチ

本日、結婚披露宴の友人代表スピーチをした。形式的な結婚披露宴に参加したのは初めてだったから大変だった。予備校時代の友人である。僕らは高校に行かずに河合塾の大検コースに通っていたから、僕らにとっての高校生活と言える。
何となくスピーチを引き受けてしまって、ここ1週間はほとんどの時間を家で原稿を考えるのに費やした。
8年前とか9年前の予備校時代のことはほとんど忘れてしまっていた。友人を忘れることはない。しかし予備校の友人との思い出を振り返る機会がなかったから、彼らとどこへ行ってどういう話をしていて、ということが出てこないのだ。あまり変化のない同じような毎日が繰り返されていて、その毎日のほとんどの時間をともに過ごしていた。空気の存在を意識して呼吸をしていないように、僕は日々過ごすことに精一杯で友人の存在について思いを巡らせたことがなかったのだ。
今回、何となく引き受けることでそういう機会が得られてよかった。

原稿ができたのは出かける直前だった。完成した、と思っても少しすると修正というのを繰り返したから今朝までかかった。そうして本番を迎えた。どれだけ緊張して頭が空白になっても原稿を読みさえすればいい、という目的で作った原稿はそのまま読まずにだいたいアドリブで変えて言った。我ながら感動的なスピーチであった。

披露宴は、新郎新婦にとってとても大変なものだ。緊張して挨拶したりみんなに写真を撮られたり。親たちにとっても大変だろう。僕は自分はそういうのは絶対やりたくないなと思っていた。でも、今回参加して少し気持ちが揺らぐ。
そういう大変な披露宴だの結婚式だのを何故やるのかと考えた。理由の一つには「気合いを入れるため」というのがあるとおもう。大変ではあるけど、これからの人生に気合いを入れて頑張ろう!と自分たちにも周りの人にも示す機会なんだろうと感じた。
そういう意味で、友人代表のスピーチという形で少しでも大変さを分かち得てよかったと思った。

めでたい。

2010年11月26日金曜日

帰省中


日曜の友人の結婚式への出席のため、帰省した。飛行機での帰省は手軽である。
飛行機から富士山が見えた。富士山は見たら富士山とすぐに分かる。
夕焼けの空の赤さと雲海がきれいだった。

2010年11月25日木曜日

スピーチ完成

友人の結婚披露宴のスピーチが完成した。
スピーチの大枠は一週間前に出来ていたけど、
文章をきれいにつなげたりするのに手こずった。
予備校時代の友人でそのころのことはほとんど覚えていないし、
記憶を呼び起こす写真などもほとんど残っていない。
スピーチの本を読んだら例文が載っていたのだけど、
友人挨拶の例文はどれにも具体的なエピソードが文章に混ぜられていた。
たぶんその本の作者は友人なら具体的エピソードを思い出せるものだと思っているのだろう。

何となく覚えていることをつないだり、抽象的なことに逃げたりと、
一般的なスピーチとは言えなさそうだ。

この一週間、ほかのことはほとんど手につかなかったので、
肩の荷がおりてほっとしている。

これで安心して日曜を迎えられる。

2010年11月17日水曜日

webカメラの使い方

その一週間で観たもの読んだものなどおもしろいと思ったものを3分ほどで紹介する、のを撮影するという活動をしようという話になった。これは普通のビデオで撮影してもいいのだろうけど、せっかくなのでwebカメラで撮影する。少し手間が減るのと自分の姿を確認しながら進められるのが利点。なかなかおもしろそうな予感がする。読んだ本でも観た映画でも絵画でも活動でも何でもいいけど、発表する。自分で話したいことを話すのとその場にいる人が質問するのを混ぜれば思わぬ方向に話が進むかもしれない。今年中にDVD一枚にまとめたり、youtubeに流すのもいいかもしれない。
まだまだこのパソコンのwebカメラの有効活用法は受付中です。

2010年11月15日月曜日

もうすぐ誕生日である。26才になる。
東京に出てきたのが20才の時だった。年を重ねるにつれ時間の感覚が鈍化して同じ期間でもあっという間に感じるという話を色んな人とから聞いたけど、僕はそれを解せないでいる。

そういえば6年前の今頃は受験直前期で肺炎にかかっていた。あれは死ぬかと思った。家に誰もいなくて頭がガンガンして寒気がして、熱を何度も計ったのだけど計る度に熱が1℃ずつ上がっていくのだ。孤独死か、と思い何だか情けないのと辛いので涙を流していた。4年も予備校に通ってて、ようやく受かりそうになったのに直前で死ぬというのは悲しすぎる話だ。

そして3年前のクリスマスイブ。僕の23才の誕生日。友人と夕食を共にしたら急に気持ち悪くなってきた。吐き気が止まらなくて腹も痛くて大変だった。所沢の家に帰ったら、同居人がお祝いの準備をしていたのだけど、もはや目に入らず自分の部屋に直行してベッドに倒れ込んだ。その時も寒気がひどくて電気敷毛布の設定温度を最高にしてエアコンをつけて毛布をかぶっていたんだけどブルブルしていた。寒くて眠れないから、熱を計ると40℃だった。これは駄目だと思い救急車を呼んだ。今から思えば救急車は大げさだったかもしれないが、その時も死ぬと思っていたから仕方ない。救急車に乗って病院へ行ったらインフルエンザの検査をした。それは陰性で、結果はウイルス性腸炎という診断にだった。

さかのぼって今から12年前は手足の手術をした。9年前は何があったか覚えてないが、3年前・6年前・12年前とひどい病気なり何なりを経験してきたから、今年は何か病気になるのではないだろうかと思っている。

結婚式スピーチを考える

11月後半にある友人の結婚式でスピーチを頼まれているから考えなくちゃいけないのだけど、
結婚式に行ったことのない僕はどんな話が定型なのか分からない。
分からなくてもそろそろ考えださないと直前に酷い状況になる。
早めに出来上がったものを持っておくと、それが気に入らなくてもこちらの精神状態は安全である。
他人の結婚式で追い込まれるのはいやで、緊張するのは当人だけにしてほしいものだ。
それでも気軽に引き受けてしまった自分のせいであるから仕方ない。

その友人とは7年前に知り合った。お互い高校を中退して予備校の大検コースに在籍していた。
遊んだり授業をサボったり嫌いな講師の悪口を言い合ったりとか酷いことばかりしていた。
そういう結婚式では話せないようなエピソードだらけの中にも、少しは結婚式向きのエピソードがあるんじゃないかと思うんだけど、ずっと考えていても見つからない。
「ああいう酷い時期があったけど今はだいぶん落ち着いています、あの当時に会わなくてよかったと思いますね」みたいな。


これじゃいかんな。
明日からまじめに考えよう。

2010年11月14日日曜日

親ガメ子ガメ問題

さきほど友人から電話がかかってきて、思いついたから書く。

受験時代、depend on~(~に依存する)という熟語はなぜ前置詞にonがくるのかという話を予備校の先生がしていたのを思い出す。
親ガメと子ガメがいて親ガメの甲羅の上に子ガメが乗っているという図を描いてくれた。依存するってのはこういうことだよ、と。この図をみて「子ガメはいいなあ」と僕はそのとき何となく思っていた。

人間同士はその関係性において依存と被依存に分けられるが、同じ人同士でも問題によってその関係性は逆転する。依存-被依存関係の被依存側に各々がなろうとすれば、人間関係は円滑に進む。というよりも、どちらも依存側にたとうとしたら衝突が起こり亀裂が走る。あくまでこれは物事に取り組むときの構え方の問題であり、どちら側か判断し難いことは多々ある。それでも構え方としてそうしておく方がよい。
僕の思いとしては常に依存側に立とうとしている人間と一緒に行動すると疲れるからできるだけ遠ざかりたい。言い方を換えれば「責任感」の問題である。ある物事に対してどれだけ自分なりの「責任」を感じているか。ある物事に参加する際、どれだけの「責任」を有するかを予め考慮しておく「責任」がある。軽はずみに色々な物事に手を出すのは構わないだろうが、それに伴なう「責任」は放置してはいけない。だから多くの人は多くのことに手を出せないし出さない。物事に参加していて自分はただの参加者だから「責任」がないと思っている人間は文字通り「無責任」である。

個体としての人間は本質的に怠惰であり、社会としての人間は勤勉である。カラにこもったり周りを見ないようにすると怠惰な方向へ人間は流れていく。僕が「子ガメがいいなあ」と思ったのは自分で動かなくていいという怠惰な感情からであると思う。子ガメは親ガメが動けば自分も移動できる。そして大体において、成長していない子ガメの願望は親ガメと一致している。食べること。安全な場所で眠ること。

子ガメは本能的に依存から脱却するが、人間はいつまでも依存することができる。いや、いつまでもはできない。依存-被依存関係では被依存側の主張がいつも有利であるから、被依存側がNOを突きつけたとき依存側はその場にいられなくなるのである。依存側が依存し続けたいと主張することはできるが、被依存側が依存させ続けたいという思いがない限りこれは永遠に認められない。
だから僕はできるだけ被依存側に立ちたい。自分から何かを始めようとする人間は好きで、責任を持って色々なことに参加する人間も好きである。人に何か始めてもらおうとする人間や無責任な態度は好ましくない。

2010年11月12日金曜日

NHK(National Housou Kyoku)

昨日、知り合いがustreamで動画配信をしていた。
おそらく彼を知らないとあまりおもしろくないのだろうけど、
彼を知っている僕からしてみればとても面白かった。
そして衝撃だった。

尖閣諸島問題のビデオ流出問題で立花先生がNHKのニュースで「個人が放送局になり得る時代」と話していた。まさにそういう時代だと思う。テレビとインターネットの差はあるけど、知り合いが画面に映るというのは今までは稀な体験だったけどこれからは違う。これは本当におもしろい。テレビでは流せない、非有名人の超個人的話題をustreamでは流せるし、見たい人が見にこられる。
このおもしろさを大多数が知ったら、大きく変わると思う。
もはや大多数が知ってるのかもしれないけど。

先日購入したパソコンにwebカメラが装備されている。
今日のゼミ後に大活躍だった。気軽に撮影して気軽に保存して、気軽に編集する。
ネットに繋がる環境だったら気軽に生放送ができる。

読書会とかも配信できる。テーマを決めた議論も配信できる。
そういうわけで、このwebカメラの有効利用方法を募集しています。
コメントでも直接メールでもどちらでも受け付けています。

こねこのメンバー曰く、11月末帰省時の読書会を配信してほしい、とのこと。
それは出来る環境かどうか分からないけど、おもしろそう。少し考えよう。

2010年11月11日木曜日

パソコン到着

パソコンが届いた。
とてもうれしくてうれしくてそしてつかいにくい。なれるのには時間がかかりそうだ。
古いパソコンのほうは、まるでポールスミスの財布のように画面に七色の線が入っていた。人間の脳の処理能力はすごいもので、七色の線のことはすっかり忘れていた。見えてるんだけど。

何が使いにくいかというキーボード。配置とボタンの大きさが今までのと少し違う。

まあそうは言っても、そういう細かいことをすべてふっとばすような性能だからいいのだ。僕がグラフィックボード業界の王様と言っているNVIDIAというメーカーのチップが搭載されている。だからlinuxベースのubuntuという無駄に過剰な画像処理能力を要求するOSを入れてみた。楽しみだったけどバグってしまったから今度再挑戦してみる。ubuntuの何がすごいって動画をみたらわかるけど、プログラムを閉じるときにプログラムが燃えるような演出をするとかマウスを動かしたら画面上に波紋がでるとか。その波紋が画面の端に到達すると跳ね返って、角なんかだと跳ね返ったものどおし波がどうのこうのあれこれなっている。当然だけど、そういうのってすべて計算して画面表示されてるわけで適当そうに見えても結構大変なもので。DVDが高画質とかblue-rayはこう繊細だとか3Dは飛び出ないとか言ってる場合ではないのだ。

昔、夢見ていた遠い未来の姿を思い出す。たとえば、機械がカタコトな言葉で「オハヨウゴザイマス。オショクジハナニニシマスカ」とか聞いてきて、僕はそれに「目玉焼き」と答える。「ショクゴハコーヒーニシマスカ」とか色々面倒なことを機械がやってくれるというような未来。
でも考えてみたら、全自動で働くような技術がありながら機械がカタコトで語りかけてくるのはおかしい。そもそも心を読めと、今では思う。

話がそれた。つまり、理想の未来っていうのは必ずしも合理主義の極限ではないのだろう。だからパソコンの画面で波が漂ったり、雷が鳴っていたりするのも、いいもんだ。無駄ってことはない。

2010年11月6日土曜日

注意

このブログを読んでいる人からの感想によると、これのアイデンティティはひたすら何かに怒ることだそうである。では怒ろう。と言ってもいつも怒っているわけではない。いつも怒っていたらアドレナリン出っぱなしで体に悪い。それは避けたい。


先日、大学の図書館に行って勉強していたら、ぺちゃくちゃ喋っている学生たちがいた。そういえば、先週の同じ時間も同じ学生たちが同じようにうるさかった。僕はカフェで読書しているときも人の会話が気になる人間なので、静寂な空間で喋られているとかなわない。

注意するというのもなかなか面倒なもので、どういう風に注意するのがいいのだろうと考えるところから始まった。ウソみたいかもしれないけど以下のようなことを何分か考えた後注意に行ったのである。

例えば、僕が「うるせえよっ」っと怒鳴ったら、
「あなたの方がうるさいですよ、図書館なんだから静かに注意したらどうですか?」と周りの人に言われるかもしれないし、悪くしたら僕が注意した人にそう言われかねない。
だからこの怒り方は却下することにした。

次に「うるさいから静かにしてくれない?」と半笑いで丁寧に提案してみると言う案。
「(うわ、なれなれしいな)」と思われ、「いやです」と断られるかもしれない。そうするとわざわざ半笑いをしていた僕の顔は無駄になる。そして僕の怒りは倍増し、最初の「うるせえよっ」案に戻ることになる。
ゆえにこれも却下せざるを得ない。

この二つの例は、以下の数直線に示すように怒りの感情の軸の両極端に位置するわけで、
中をとればいいわけである。ではどの△の場所ををとればいいのか。


     ▽丁寧な案         ▽怒鳴る案
(冷静)<------------------------------------------>(怒り)
         ▲  △新しい案  △


その時の僕は▲のあたりを採用した。

彼らの席に近づいていって無表情に不機嫌そうに「うるさいからしゃべるな」と言って、ぱっと翻って自分の席に戻ったのである。我ながら華麗であった。そして彼らはしゃべるのをやめた。こういうときは謝罪されると思っていたけどそうでもないみたいだ。

後々面倒な事態に巻き込まれるかもしれないから、こういう注意は個人がするのではなく、図書館の人がすればいいんだけど、気づいていないのか面倒だったのか放っておかれた。そういうときは仕方ない。僕がやるべきなのだ。見た目がちょっと恐いだろうしこっちが年長だろうから。

しかるべきときに注意を受けなかったら、彼らにとっても不幸なことである。喋ったらいけないところで喋っていたら、例えば僕よりも強面で腕に入れ墨が入っていたり手にメリケンが装着していたり懐にはじきが入っていたりする人がいる場所だったりしたら、とんでもない注意を受けていたかもしれない。口だけではなく痛みを伴うやり方かもしれない。
そう考えると注意するというのはなかなか親切な行為である。ただし自己陶酔が混じっていたことも認めざるをえない。
注意一つするのもなかなか考えさせる。

まだまだ書き足りないので次回へつづく。

2010年11月5日金曜日

流出ビデオについて

尖閣諸島の流出ビデオを見た。

でももはやこの問題の本質は事件の真相というよりも、
なかなか横暴なことをする中国とそれに依存している日本という問題の方ではないかと思う。
真実が目に見えたからどうという問題ではない。受け取る人間や団体の構えの問題。


これまでこういうデータの流出ってマスコミ経由youtube行きだったのが、
マスコミ経由なしでyoutubeに直接投稿されたという点が重要。
マスコミバッシングではなく、パッシング。
これはおそらくマスコミが一番恐れていることで、我々が望んでいることかもしれない。

一人の動画投稿がどのマスコミよりも影響力の強い情報を伝えることができる可能性がある。
新しい時代の到来だ。

野党たちは政権の情報管理のずさんさを指摘したけど、これからこういう事件はどんどん起こるはず。
人間一人とネットに繋がったパソコンさえあればできるわけで、
自民党はこれまでそういう時代を経験していないのだから、
自分たちの時代はそういうことがなかったと言って批判したとしても、
まったくの無意味な発言でしかない。

でもそういう国家機密流出ならGoogleのYouTubeじゃなくて国産のニコニコ動画にしてほしかった。

名字

昨日、かねてから気になっていた名字が同じ人と話すことが出来た。僕の名字はなかなか珍しい部類であるから、近い親戚以外で会ったのは二回目である。もしかしたら遠い親戚かも知れないけど。

そうそう、中学一年のころの同じクラスにもいた。多分遠い親戚だったんだろう。僕の親戚は福岡と佐賀の県境付近に多く住んでいるから、あの付近にいて名字が同じで親戚ではない方がおかしい。同じクラスであったけど彼とは分かり合うことはなかった。

そういえば、中学の時にとてもとても嫌いだった書道の女の先生がいた。その先生は我が町の町長の夫人だったから、どれだけ横暴でも誰も文句が言えないという安っぽいドラマのような設定だった。若かりしころの僕は学級委員なんかをしていたので、クラスの代表として担任に文句を言いに行ったような記憶がある。担任の先生はどうにもならないんだよ町長夫人だからねえと苦笑いしていた。
あまりにも嫌いだったという印象が強すぎて、もはやどういうことが嫌だったのかを忘れてしまった。でも当時のクラスメイトとその先生の話をすると、嫌いだったという思い出しかない。

あるとき、僕の祖父が衝撃の事実を伝えてきた。詳しい繋がりは忘れたが、とにかくそのみんなに嫌われていた町長夫人である女先生は親戚である、という。血縁関係としてはそんなに近くないのだけど。
たしかそれを聞いたときは中学を卒業していたから、ダメージは少なかった。先に知っていたらひどい気分だったろう。

2010年11月4日木曜日

ゆきお本棚
2010年10月
アイテム数:8
移行期的混乱―経済成長神話の終わり
平川 克美
読了日:10月01日

太陽の塔 (新潮文庫)
森見 登美彦
読了日:10月02日

だいたいで、いいじゃない。 (文春文庫)
吉本 隆明,大塚 英志
読了日:10月07日

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)
森見 登美彦
読了日:10月12日

ほんとうの環境問題
池田 清彦,養老 孟司
読了日:10月18日

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2010年11月3日水曜日

twitterで書き込んだ文の中で僕が一番使った漢字は「本」なのだそうだ。そんなに書いてたっけなあ。
調べてみると日「本」とか「本」日とか吉「本」隆明とか使っていたから純粋に書籍の意味での「本」は少なかった。なっとく。

最近、友人に本を読んでいるねと言われることが多いけど話題に上るほと読んではいない。本をできるだけ買わないようにしたら、家に積み上がっているものが少しずつ減ってきた。明日は読書会の日で平川克美氏「経済成長という病」を取り上げる。先週一度やっていて、あまりよくなかったのでやり直しである。先週も一通り読んで今読んでいるのは二度目だから俯瞰して部分を読むことができる。
11月の終わりの帰省時に地元でも読書会を行う。そっちの本はマイケル・サンデル「これからの正義の話をしよう」である。こちらは半分ほど読んだけど、まだまだ読み終わらない。おもしろいのだけど何かいまいち波に乗れない。波に乗れるのがどうであれ、本を読むのは楽しい。この本は読書会向きの本だろうなと思う。

2010年10月30日土曜日

タロット占い

学園祭で友人たちと占いをしてみた。
タロット占い。
何だか難しくて言われたことをほとんど覚えていないけど、
覚えている範囲で書いておく。

僕は占いとか信じたくないとは思っているけど、
気にする。

結果は
過去:悪い。
未来:?
仕事:自由にかつ直感で決めれば大丈夫。
恋愛:大恋愛をしそう。
対人:寂しがり屋。
総合:正義と調和。

まあ当たっているんじゃないか。
というよりなかなかいい運勢であった。
これなら信じたくなるような結果だ。

タロットのやり方は以下。
カードをシャッフルする。
占われる人もシャッフルする。
占い師がカードを並べる。
7枚。
それで占う。

タロット占いは何通りの解があるか計算してみる。

22枚のうち7枚を順番つきで選ぶ。
22P7で859,541,760通り。・・・①

タロットには正位置と逆位置というものがあり、
要するに占い師から見て上下ちゃんとしてるかどうかである。

だから①に2の7乗をかける。

すると解は、
110,021,345,300通りである。

多分これで合っていると思うけど、間違いがあったら指摘してください。

1100億と言えば、人類の数は70億弱だから占いとして許せる確率だ。
血液型は4種類だし星座も12種類、干支も12種類だから、
タロットの確率はすさまじい。

ほそく

いちおう補足しておく。
当ブログで悪口を書かれた人がいるけれど、
それはちゃんと許可をとっているか事後連絡しているので、
今のところは問題ないです。
前回の記事の突然泊まりに来る迷惑な人とかにもちゃんと伝えている。
彼は苦笑いをしていた。
でもまあ苦笑いくらいで泊まれるんだからいいじゃない。

なぜこういうことを書いているのかと言うと、
名刺にブログのアドレスを記載しているので、
ばらまいている名刺を見て誰かがもしかしたら読んでいるかもしれないので。

すっかり忘れていた。

2010年10月28日木曜日

ぼやき

どうも参っている。飲み会で飲み過ぎたのもここのところ規則正しい生活ができているのも毎日走っているのも喉がおかしいのも予定が詰まっているのも注意力が散漫なのにもすべて理由がある。
とにかくもう寝よう。
と思ったら、例の如く人騒がせなやつが泊まりにくる。

2010年10月26日火曜日

物語

喫茶店が舞台のドラマや映画では謎の客がしばしば登場する。
そういうものを見ているときは、こんな怪しげな客いるわけないと思う。こんなに外見が分かりやすくて秘密を持っている人間がこの現実の世界にいれば、人生もっとおもしろい。浅はかなストーリーを作るものだ。俺が小説を書くときはそんなもの登場させるか。もっとリアリスティックなものにするのだ。
しかし自分の存在を客観的に見てみると、それをバカにできない風貌であり雰囲気である。何故こんな時間にいい年齢の男が読書をしに喫茶店にいるのか。しかも毎日ストレートコーヒーのブラックしか頼まない。謎の客。そうカテゴライズされている可能性を、どうして今まで自分には適用させなかったのか。
そういうことを考えていたら、ふと自分の体験していることはそのまま物語になるんじゃないかと思った。そういう経緯で物語を書き始めた。完成するか分からない。しかしそもそも僕の日常は何かを目指しているものではない。どこかで出来事が終わるかもしれないし続いていく日常を描くだけかもしれない。
思えば独特の人生を歩んでいるような気はしている。人生が独特かどうかというのは難しい問題である。もちろん独特でない人生なんてものは存在しないかもしれない。しかしかつて一億総中流と言われた日本の社会では人生の平均値帯は存在しそうだし想像しやすい。小学校に通い中学校に通い高校に行き、就職するか大学へ進学後就職する。大まかに言えばそういう感じ。そういう意味で言えば僕は人がつまづかないところでことごとく転び、北へ向かうべきところを南へ行ってみて迷子になっている。そんな人生な気がする。登場人物がつまずかなかったり、行くべき方向しか見ていないような話であれば、どれほどつまらない話になるのやら。まさに小説向き我が人生である。

2010年10月16日土曜日

ジャズ

伊勢崎賢治氏のジャズライブに行ってきた。ジャズを聴いたらジャズが弾きたくなる。でも僕のギターの腕前じゃ、いきなりジャズっぽくは弾けない。譜面を見て音を聴いて3曲くらい弾けるようにするのが、一番の近道だと思う。弾きたくなるような曲を探すことから始めよう。

僕がギターサークルに入ってよかったと思えるのは、ギターが弾けるようになれたことだ。弾けるようになった最大の要因は、自分を弾かざるをえない状況においたということだろう。どんな楽器でも最初が一番面倒だ。とくにギターは弦を押さえる左手の指先が痛い。慣れてくると皮が固くなるのだけど、その痛みと闘わなければならない。そして和音(コード)の押さえ方を覚える。そしてFコード問題が発生する。Fコード問題とは弾きにくいFでみんなが挫折するという問題。その問題が解決するまでおよそ演奏しているとは言えない。おもしろくない。自分との戦いである。それで、何となく弾きたいナーと思っているくらいだとたぶん挫折する。そういう人を3人くらい知っている。
ギターサークルに入ると、上記の問題はもはや自分だけの問題ではなくなる。演奏しなくちゃいけないから期限付きで克服しなくちゃいけないのだ。その点で入ってよかった。



今日のライブは演奏の間に伊勢崎氏のインドでの話があった。そちらもおもしろかったが、それはまた別の機会に書くことにする。

2010年10月13日水曜日

パソコンのその後

パソコンの届け予定日は10月30日に変更。

たぶん文句の電話を入れたら、
さらに腹を立てることになるだろうから
怒りを腹に収めておこうと思う。
はあ。

もはやこの会社の何を信じていいのやらという気分である。
そして疑念がうかぶ。
・まず、ちゃんと届くのだろうか。
・届くとして、本当に10月30日なのか。
・届いたとして、選んだスペック通りなのか。

パソコンを買うのってわくわくと楽しいはずだったのに、
何ではらはらどきどきいらいらうつうつもやもやしなくちゃならないのか。

2010年10月12日火曜日

2010年10月11日月曜日

建築物

もう諦めてる。いちおうパソコンについて経過を報告。
2010年10月11日 23時47分の時点で製造中である。
お届け予定日は10月13日前後となっている。


もう諦めている。



先日、図書館で建築の写真を4時間くらい見ていた。

というのも先の欧州旅行で古い建築を見まくっていて、
先生に「君は建築に興味があるの?」と何回か聞かれたから
それ以来何となく建築が気になったのだ。
聞かれているとき僕は建築に興味があると認知していたわけじゃなくて、
目の前にある町並みとその建物の美しさに感動していただけなのだ。
チェコのプラハはほとんど歴史的建築物で、柱には彫刻があり窓枠も物々しい。
色はカラフルではあるが、うまく色が建物とともに年老いている。

そしてドイツ・ベルリンの大聖堂とかペルガモン博物館とかテレビ塔とか世界時計とか。
ナチスの作ったものはやたらでかくて立派だけど、大きけりゃいいってもんじゃないなあという感想を持った。

まあそういう経緯で建築に興味がでて写真集を見ていたのだ。
ざっと見たところで、東京にもいろいろ見てみたい建物があるようだ。当然ながら建築は移動できないので直に観に行くしかないというのも僕にとっては魅力である。

2010年10月9日土曜日

僕は予言します。

この話はここ最近の僕にとってホットな話題であるから、
最近会った人は耳にしているかもしれない。
また、以前に聞いているとしても僕は当分話し続ける予定です。
パソコンが届くまで嘆いているだろうから。


パソコンを買ったのだけど、いつになっても届かない。
買ったのは9月20日だから半月たつ。
お届け予定日はホームページで確認出来るので、
パソコンを買った僕は嬉々として確認画面の更新に忙しかった。
"最初の"お届け予定日は10月7日だったのだけど、
直前の10月4日になって唐突にお届け予定日が10月13日に変更された。

同じページで、買ったパソコンがどの状態であるのかも分かるようになっている。
例えば、製造中とか国際輸送中とか国内受入中と、そういう段階が6つある。
その6つある段階の2つめ(製造中)から、9月23日からいっこうに進まない。

製造中って書いてあるけど、おそらく製造していないと思う。
製造するったってメーカーはパソコンを組み立てるだけだから、
部品がそろっていないとかそういうところだろう。

たぶんまた唐突に遅れると予言。
DELLだからシンガポールかな。
シンガポールから船便使って4日で手元に届くはずがない。
そんなこと素人だって分かるさ。

遅れるのなら、状況を連絡する義理くらいあるはずで、
そういうのちゃんとしないと余計な摩擦が増えるでしょう
という予言。

2010年10月8日金曜日

新ホームページ

もう疲れたー




というわけで完成しました。
新しくなったこねこのホームページを見てみてください。

今回のテーマはシンプルです。
一昨日に行った東京芸術大学美術館のシャガール展を見ていて閃きました。

ホームページ作成において大変なのは、色の選定だと思います。
赤系統でいくのか黄色系統か青系統か緑か、
モノトーンか、カラフルか、
カラフルでも、明度と彩度とかあって、
どの色とどの色が合うのか、
伝えたい文は何色にすべきか、
色は何種類使うか、
適当に羅列すると混乱の極みです。

混乱の極みでありますが、webページ作成の醍醐味はその点でもあります。
色あいがうまくいったときは本当に楽しい。

いわば、パソコン一つだけでインターネットという世界に自分の建築物を建てることができるのです。
ブログ作成は部屋を作成で、ブログのテンプレート変更だと模様替えみたいな感じかな。
と思います。

まあ建物建てるわけだから疲れるわけです。

http://rkoneko09.web.fc2.com/

2010年10月6日水曜日

デジャヴ

急に友人が泊まりに来ることになった。迷惑な話である。
NHK教育の「テレビでドイツ語」を見ていてドイツを懐かしんでいたら彼からの電話で邪魔された。
電話が終わってテレビを見たら出演者たちが大笑いしていた。どうやら話のオチがあったみたいで、見逃してしまった。
ちなみにその友人は大学一年のときにドイツ語のクラスで席が隣だった。
その友人とはだいたい同じ科目の単位を落とし、同じ研究室に進み一緒に小笠原で研究、彼は単位が足りず留年、僕はかろうじて単位は足りるものの留年という選択。
腐れ縁だと思って泊めてやった。


ということをちょうど一週間前に書いていたら、昨日の夜2時半にまた同じ内容の電話がきた。

2010年10月4日月曜日

説教するのが嫌いな理由

僕は1年のときギターサークルに入っていた。
何となくやめようかなと考えていたときのことである。
飲み会の席で初対面の4年生が説教してきた。
以下、おぼろげな記憶がもと。


4年「なぜきみはこのサークルに入ったんだ」

ぼく「ギターが弾けるようになりたかったからです」

4年「それじゃいけない。そんな理由じゃいけない」

ぼく「よく分かりません。ギターを弾きたい。これ以上の理由がありますか」

4年「ここにいるメンバーと弾くことが重要なのだ」

ぼく「意味が分かりません」

4年「分からないやつだな」

ぼく「初対面で説教してくるのはやめろ。」

4年「おれは先輩だぞ」

ぼく「くだらん。帰る」

と言って僕はサークルをやめた。

2010年10月3日日曜日

プラハのこと

先日の旅の日記が出てきた。
最初の2日はきちんと書いていたけど、
3日以降は書くことが多いわりに時間がなかったので書けなかった。

プラハ一日目
プラハへの到着が遅い時間だったのでタクシーで空港から先生のホテルへ。
その後、カレル橋を見物。カレル橋は重々しい存在感。スモークを焚いていてそれに映像を映していた。何人か演者が見えたので劇をやっていたみたいだ。反対側のバーみたいなところで夕食とビールを楽しむ。ビールはオーソドックスなビールと黒ビールを飲む。美味。
23時過ぎに先生と別れて、自分のホテルへ帰ろうとするが道に迷い30分以上時間をかけて0時過ぎに着く。それからシャワーと洗濯。ミネラルウォーターを買わなかったのでとても喉がかわいた。そして寝る。

2010年10月1日金曜日

最後の授業のはじまり

立花先生の学部の授業が始まった。
この授業は今までに二度受けたり手伝ったりしている。
先生の授業を毎年聴くというのはなかなか珍しい経験であると思う。
今年の最初のテーマは物質-反物質だった。
これからどのように授業が展開されていくのかとても楽しみだ。

先生は今年の授業が最後となる。
それはつまり僕がこの大学と関われる最後の機会であるという意味でもある。
そんなことを考えると一回一回の授業がとても重い。

自分の人生がこれから先どのように動いていくのか想像がつかないけれど、
とにかく今はやり残しがないようにたくさんのことをやろうと決める。

2010年9月18日土曜日

9400日目



今日は僕が生まれてから9400日目である。
プログラミングの勉強をしていて、
そういうプログラムを作成して調べてみたら、
結果にはそう書かれていた。

写真は先日、新宿に行ったときのものであり、この話とは関係ありません。

2010年9月13日月曜日

帰国後、

ヨーロッパに行った。
プラハとベルリンとポーランドである。
すべてが新鮮だった。
その衝撃が大きすぎたからか、帰国後、脳がぼんやりしている。
何をやろうとしても意識が拡散して、集中できない。
思い返してみれば、その兆候は旅の途中からあった。
おそらく情報量が大きすぎて脳が処理に窮しているのではないかと思える。
何かをやっていても、旅の途中に見た景色が頭の中で描かれる。
プラハの城、ブランデンブルグ門、ベルリンのテレビ塔、ポツダムのバス、アウシュビッツ、ビルケナウ、ワルシャワの教会。

景色や風景はくっきり思い出せる一方で、出来事や感想をうまく文章にすることができない。
どうでもいいことはすらすら文章にできるのだが。
僕がこの旅を通して得たもので重要なものは、まだ文字に表せないところにある。
根拠はないが、強くそう思う。

2010年9月2日木曜日

ベルリンにて、

ベルリンでブログを書いてみる。
初めての海外旅行も一週間たち行程の半分が過ぎた。
はじめはチェコのプラハに行き、ドレスデンへ移動し、今はベルリンであり、
明日からポーランドのクラクフに滞在し、最後はワルシャワから日本へ戻る。

膨大な情報の波にのみこまれてなす術が何もない状況に今の僕はいる。

世界は広く、歴史は深い。

2010年8月24日火曜日

旅立ち

ついに12時間後には出国である。
初めての海外旅行でまあまあ緊張している。
それ以上に楽しみでたまらないのだけれど。

今の日本では25才で一度も海外に行ったことのない方が稀かもしれない。
僕の先祖である伊東マンショという人は1582年にヨーロッパへ行った。
天正遣欧少年使節の一人として行ったのだ。
それはキリスト教を日本に広めるために4人の少年をローマ教皇と謁見させるというものである。
今から428年前の海外へ渡航するのは大変だっただろうなあ。
もちろん飛行機ではないから船での旅だったわけである。
それに比べれば、。

まあ一応日程をここに書いておくので、「今あのあたりかあ」とか思ってみてください。

8/25
成田(11:40)→コペンハーゲン(16:05)
コペンハーゲン(18:30)→プラハ(19:45)

8/25~8/27 チェコ・プラハ
8/28    ドイツ・ドレスデン
8/29~9/1  ドイツ・ベルリン
9/2    ポーランド・クラクフ
9/3 ~9/4  ポーランド・オシフィエンチム
9/5    ポーランド・クラクフ
9/6    ポーランド・ワルシャワ

9/7
ワルシャワ(10:10)→コペンハーゲン(11:35)
コペンハーゲン(15:45)→成田(9/8 09:35)

という日程であります。
携帯電話使えます。番号そのままメルアドそのまま。
画像付きメールを送る場合はパソコンにどうぞ。

2010年8月17日火曜日

2010年夏東京へもどる

明日から東京に戻る旅にでる。
最近は旅と言っても交通機関の発達によって旅と認められないものもあるけれど、僕の場合は正真正銘の旅である。

18切符の旅はもううんざりで、新幹線か飛行機に乗ってさっさと帰りたい気持ちでいっぱいである。
例えば、憲法で保障されている「最低限度の生活」には、東京ー佐賀間の移動という項目があったとすれば必ず「東京ー佐賀間の移動は新幹線での移動が最低限度の生活に当てはまる」という文が書かれているはずであろう。
それくらい飽きている。

この夏帰省してみて、時の経過を感じた。
とても着実に時間が進んでいる。
自分が何をしていても何もしていなくても時計の針がとまることはないという当然の事実に気づかされた。
仕事に追われていたり結婚式の準備をしていたり少ないお盆休みを楽しんでいたり卒業論文の準備をしていたり、周囲の人間が自分とは無関係に動き続けている。
周りの人間が進んでいるのを邪魔する気持ちは毛頭ないのだが、恐怖やら不安やらといったマイナスの混合物を心の中に抱く。

一年後に何をやっているのかという問いに対するアジェンダ(考えと行動)を実行するのが今年の後半の課題である。

2010年8月14日土曜日

表と裏

帰省して、
昨日、友人に会った。
そのうちの一人は7年振りに会った予備校の大検クラスの後輩である。
開口一番、「裏のお仕事をやっていらっしゃるんですか?」と半分冗談で聞かれた。
うんまあ、自分がそんな風貌であるという認識はある。
あるけれど、そんなストレートに聞かれるとは思わないから、
「いやあ、表の仕事だよ」と焦って答えてしまったら、
何だかかえって本物っぽい感じになった。
ふつう「表の」とは言わないもんな。

2010年8月6日金曜日

試験おわり

先日、税理士試験が終わった。
なかなか簡単にはいかぬ。
おそらく落ちているのだと思う出来だった。
しかしおぼろげながらやるべきことについていろいろ分かった。

それはそれでまあ仕方がないので、
これからの過ごし方のいくつかの選択肢について考えを巡らせている。

試験が終わって以来、何もやるきが起きない。
外に出たいけれど、出られないのは暑さのせいだけではない。
家の中に居続けるとなかなか精神衛生によくないから、
一日ぶりに太陽の光を浴びようと思う。

2010年7月21日水曜日

今日の東京は最高気温35℃らしいです。

試験日が近いのでそろそろ生活を朝型に変えていこうと思って、
今日は6時に起床して勉強している。






というのは、まったくのウソである。
早朝からあまりの暑さと直射日光で寝ていられなかったからで、
仕方なく起きてクーラーをつけているうちに目が覚めてしまったのだ。
試験日が近いのは本当であるから朝型の生活スタイルに変える必要はたしかにあるため、
仕方なしとは言え、夏の暑さに感謝である。
昨日も暑かったが、今日も暑い。
昨日の暑さについてはテレビの報道などで仕入れた情報であり、
太陽の出ている時間はほとんど外出しないことを決めた僕はその暑さを体感していない。
しかし今日のこのとことん暑い感じはもはや真の夏の暑さである。
さっき自転車を修理屋に持って行った際、水まきをしている道路を通ったが、
往路と復路の10分くらいの時間でほとんど道路に水は残っていなかった。
それくらい暑い。
冬の小笠原諸島なんかより断然暑い。
中学校くらいで、日本は温帯であります、と習ったけれど、
そろそろ、日本は亜熱帯になりつつあります、と変わるのではないだろうか。
あの日本よりも北の方にありそうなロシアも今日は40℃超えるかもしれないらしいから、
これがグローバルな気候変動や異常気象であるのは間違いない。

試験が終わったらキンキンに冷えたビールと、冷たいスイカをうだるように暑い部屋で飲み食いしたいと思った。

2010年7月20日火曜日

get a geta

このところゲタを履いている。
昨年、福岡大宰府の店で買って以来、ごくたまに履いていたのだが、
この前、他の草履が摩耗により壊れたため、ゲタの重要度が増しているのである。

ゲタの人の足をのせる部分を台と言い、台の下に歯と呼ばれる木が1~3個くっついている。
さらに台に鼻緒が通っている。
僕の持っているゲタは歯の部分がゴムでできている。アスファルトやコンクリートの地面で履いていると木製の歯は二三ヶ月でダメになるらしいというのと、音がうるさいという理由からゴム製のゲタが誕生したらしい。
ゴム製のゲタでも結構うるさいが、、、

男子学生が崩れた洋服などにゲタを履いているのをバンカラというらしい。
崩れた洋服と言いゲタと言い、まさしく僕はバンカラそのものであった。ちなみにバンカラはハイカラに相対する言葉である。

ゲタを履いているとうるさい音の他にも色々と問題が生じるから以下に一部を記す。
・木製の板だから長時間履いていると接している足の裏にまめが出来る。
・硬いから歩くときの衝撃をほとんど吸収しないから足首が疲れる。
・鼻緒の部分と擦れて痛い(これはだいぶ慣れた)。
・階段など足場の狭いところでよくバランスを崩す。
・歯がゴム製だと雨の日やたら滑る。

最近、色んなところでゲタが売られているのを見る。
もしかしたら、ふるきよき日本にあこがれる人たちが思わず買ってしまうかもしれないけど、
おそらく無用な事故が増えるから履かない方がいいと思う。
日本の都会はゲタ履きには厳しいから。

2010年7月18日日曜日

坊主

ドイツに行くにあたって、治安のことを調べていた。
だいたい治安はよいらしいのだけど、
フランクフルトは犯罪発生率が高いらしい。
旅行の本を読み進めていくと、
ベルリンにはネオナチという集団が存在するらしい。
ネオナチは名前のとおり、
ヒトラーの思想を受け継いで活動しているらしい。
ネオナチの象徴はスキンヘッドらしく、
僕はつい先日スキンヘッドにしたので
これでは確実に間違えられてしまう。

2010年7月15日木曜日



夜も更けたので寝ようかと思い部屋の電気を消したら、
ピンクの光が窓から入っているのに気づいた。
窓を開けてピンクの光の正体を見極める。
UFOの可能性もあったが、朝焼けであった。
いつの間にか朝になっているようだ。

空がなかなかきれいなので
寝るのはよして散歩してみようと思った。

夏の朝は昼間と同じくらい明るいのに、
人がまったくいないことが多い。
まるでゴーストタウンのようである。

僕はその感じが好きなので、
毎夏に一度や二度、早起きして外に出て写真を撮る。

早朝とは言ってもノラネコやカラスにとってはしっかり活動時間のようで
朝食をとっていたりのんびり朝の散歩をしている。

2010年7月6日火曜日

試験前

試験一ヶ月前になったので寝ては勉強して寝ては勉強しての引きこもり生活になってきた。
試験勉強は直前の時期にいかに効率よく勉強できるかがその試験の合否に多大な影響を与えると思う。
それより前の期間は直前時期の為の土壌を作るための期間である。

この直前時期はとても勉強が楽しく感じられる。

2010年7月2日金曜日

だまされた。

だまされるのにはだまされる方にも責任があるというような言葉があるが、それは第三者的見地からの達観した見方であり、だまされた当人にとっては悲しく屈辱的でその相手に対して激しい怒りと軽蔑の感情を覚える。
どれだけ怒りの度合いが大きくても、僕は解決の道が閉ざされた問題に関してはできるだけ忘れるというスタンスをとろうと心がけているので、かくなる上は記憶を呼び覚まそうとするすべての品を処分してしまうことが一番である。

何にだまされたのかというと読売新聞である。どういう出来事があったのかを簡単に記そうかと思い、書いていたら途中でそれ自体がバカバカしく思えてきたのでやめる。
とにかく一日も早く忘れてしまい、だました人間の不幸を祈るばかりである。

今回の件で驚いたのは二点である。
世の中にはだます人間がちゃんと存在しているのだということ。
そしてその嘘は子どもじみていて、大してテクニカルではないこと。

まさかそんなの嘘にはしないだろうというような嘘というのは案外ひっかかってしまうものなんだなあと思った。なるほど世の中は厳しいものである。

2010年6月30日水曜日

不毛な時間

非常に不毛な時間であった。
一生のうちに不毛な出来事の量が設定されているとすれば、今日だけでその大部分を使ったと言ってもいいくらい不毛であった。
起きてしまった不毛な事象に対する最善の特効薬は、ただ忘れることであろう。

ただ忘れよう。

ワールドカップ

日本が負けてしまった。これまでなかなかいい試合を続けてきたのに、今回の試合はどうもよくなかった気がする。最後のPKは仕方ないけれど、パスが雑というか簡単にボールを取られていたからずっと攻め込まれていた。やっぱりこれが南米との差なのかと思った。そうだけれども最後までゴールを入れられなかったのは、相手が守備のチームだからということを勘定にいれても、よく守れていたと評価すべきなのかもしれない。
下馬評ではグループリーグ三連敗で予選敗退というところだったのに、二勝一敗で堂々とグループリーグ通過した。岡田監督が「狙うはベスト4」と言ったとき何をばかなと思ったけれど、試合が進むにつれ本当にベスト4にいけるような気がしてきていた。
日本にプロサッカーリーグが出来たのは93年。カズとかラモスとかジーコとかリネカーとかアルシンドだの何だの。それから17年経った。僕と同世代やそれより下の世代の人間は小学校からサッカーで遊んでいた。風間とかいう広島の選手の伝記を読んでいたら、その人が子どものころはサッカーをやっている人は変わっている風に見られたと書いてあった。93年にサッカーが子どもたちに認知され、将来にサッカー選手という選択肢が出来て、ということを考えるとまだまだ日本は強くなれそうである。4年後が楽しみである。

2010年6月24日木曜日

1Q84再読

1Q84を読み直した。
一度目に読んだときとは違う感触を味わう。
ただ目前の文章を追うだけではなく、俯瞰できるからだろう。
全体のための細部であり細部のための全体であるという構造を作ることが物語るということなのではないだろうか。
この小説は妙にリアルなところと変にファンタジックなところがあると思う。

最初に読んだときの謎は、二度読むことでその形がおぼろげながら見えてきた。
謎の答えは分からないけれど、謎の全体像みたいなものは捉えつつあると言ってもいいかもしれない。

ビッグブラザーとリトルピープル。
パシヴァとレシヴァ。
マザとドウタ。
空気さなぎ。

まだ分からないことだらけであるけれど、
これ以上分からないかもしれないけれど。

2010年6月20日日曜日

昨日の夜おそくに帰宅したら、家の鍵が空いていた。

どうやら鍵をかけ忘れて出かけていたらしい。

朝の10時から夜の24時までの14時間、誰でも侵入できる状態だった。

幸運なことに、侵入した形跡も見あたらず何も取られていないと思われる。

東京に出てきてから、そういうことは一度もなかった。

所沢にいたころは三人で住んでいたから、家が無人になる状態も少なかったし、

仮に無人の除隊になったとしても極めて短時間であったのだった。

だからあまり鍵のことを気にしていなかった。

男三人のルームシェアのセキュリティはかなり高いと思っていたから、

部屋は一階だったけど、誰かいるときはだいたい鍵を開けていたし、

夏になれば昼夜問わず窓を開けっ放しにしていた。

東京の一人暮らしではそういうことはできない。

と、ここまで書いていて、自分には泥棒に盗まれて困るようなものがあったのかと考える。

家にあるもので値段が一番高い物はパソコンであったが、液晶が壊れているから今では大した価値もないだろう。

ほかにはギターくらいで、それでも大した価値はないだろう。

本は400冊くらいあるので全部売ればそれなりの値段になるだろうが運び出すには大変だ。

そういうわけで泥棒に盗まれて、困るということはあってもめちゃくちゃ大変なことになることはない。

2010年6月10日木曜日

ipad2

何だかんだ言っていたけれど、先日ipadを触ったとき少なからず感動してしまった。
そうだったけど、使用じたいは難しくはないけれど、使いこなそうと思ったら難しい。便利なのかどうかさえよく分からない。
かなりのモチベーションが必要である。

2010年6月4日金曜日

ipad

今日、ipadの購入予約を隣で見ていた。ヤマダ電機での予約だったのだけど、とても面倒であった。たくさんのすでに分かっている説明を延々と続けるし、人気商品だから運転免許とか保険証など本人確認のできるものが必要だったりする。
世間ではどうだか知らないけれど、僕の中でのipadの位置づけは「パソコンとiphoneの中間」くらいであるので、面倒な手続きがとても仰々しく感じた。たかがパソコンだろ、みたいな。それとはちょっと違うんですよ、みたいな風を吹かせるのはやめてほしい。

それでも最近のテレビやネット上でかなり流れているので、ipod touchとかiphoneが欲しくなった。ipadはかさばるからいいけど、iphoneとipod touchなら小さくてインターネットが外で使えるから、それはかなりよい。例えばgoogle mapやwikipediaなど。ちょっとしたときに調べられるのはかなり便利であるなと思う。
ただipadやiphoneを購入しないのは、apple storeからしかソフトをダウンロードできないという一点に尽きる。それがなければいいんだけど。だから購入するのは競合他社の類似品になるんだろうな。

2010年5月31日月曜日

誰が読んでいるのかよく分からないブログで感謝するのはいかがなものかとも思うけれど

先日はみなさまのご協力のおかげで先生の誕生日会を開催でき準備の時間が少ない中あのようないい会にすることができました。先生の古希のお祝いに大きく関われたことは、勝手な話ですが非常に嬉しいことでした。
あの日は最後に言葉を言わなくちゃいけないと思って前日からノート2、3ページにわたって考えていましたが、緊張を解くためにいつものようにビールやらワインやらをたくさん飲んでしまい、緊張はまったくしませんでしたが何を言うはずだったのか全く思い出すことができなくなっていました。
そもそもろれつがまわっていたのかさえ僕は分かっていません。ただ、断片的な記憶を遡っていくと何だか楽しかったなあという漠然とした感情が残っております。
みなさま、ありがとうございました。また来年!

2010年5月25日火曜日

国道の標識



さっきテレビを見ていたら国道1号線の標識が映っていた。それを見たら昨年の秋に福島から東京まで自転車で帰ってきたのを思い出した。あれは国道4号線だったのだけど、あの青い標識を東京までの頼りにしていたので、それが見えている限りは道を間違っていないから心強かったのを覚えている。そのとき感じた感情が非常に現実的に身体中に巡ってきた。あの不安な気持ちや好奇心や自信は今ではほとんど記憶には残っていない。
だからさっき国道の標識を見て思い出したことは自分では不思議に感じられる。ああ僕はまだそういうことを覚えていられたのか。
ああいう旅はもしかしたら二度としないかもしれないと思う。

2010年5月24日月曜日

無読は無毒である

本が読めなくなる期間がある。
字を受け付けられなくなる感じ。
そういう期間は大抵、多読した期間のあとにくる。
読書に飽きてしまうのだろうか。

その無読書状態が昨日まで一週間くらい続いた。
それ以前は、つまりゴールデンウィークの前後は、まあまあ読んでいた。
今日は久しぶりに本を読んだという気持ちになれるくらい読めた。

思い返せば、そういう読めたり読めなかったりという波は読書をし始めた大学一年の頃からあるような気がする。そのころは読書は暇つぶしみたいなところはあったから、読めない日は別にどうでもいいやと思っていた。最近は本でも読みたいなというような軽いモチベーションではなくて本を読まなくちゃという軽い脅迫観念じみたところがあるから、読めない期間は焦りといらだちを感じてしまう。ここ一年くらいのうちにも何度もあった。

それでも最近は新聞に毎日目を通しているので、そういう期間でもまったくの無読字ではない。内田樹は自身のことを「重度の「活字中毒」」と呼んでいる。「中毒」というのは「毒に中(あた)る」ということであるから、それはつまり「活字」という毒に中っているわけである。シニカル。

僕の精神は「「活字中毒」中毒」と言ったところであろうか。

2010年5月19日水曜日

相続税

祖父が亡くなって何日も経った。僕は葬式の三日後くらいに東京に戻ってきたからその後の行事については詳しく知らないけれどけっこうあるらしい。儀式的なものが大半を占めて、そのほとんどはかなり面倒な実務を伴う。その一つが遺産相続の問題である。昨日父親から相談を受けた。僕は今年税理士試験を受けるといっても、簿記論と財務諸表論というもので、法律関係の科目は受けないから相続税法は勉強していない。しかしせっかくだから来年以降の勉強も兼ねて相続の問題について勉強することにした。
そういうわけでブックオフに行き一冊買ってみた。しかしどうやら買った本は生前贈与するなど主に節税対策の話を本の内容の中心においているようだから、ささやかに失敗した。それでも後半部分に載っていたのでここから始める。

最初は故人にどんな財産があるのかということ。そして誰が相続するのか。当然ながらこの二つが重要である。どんな財産というのも細かくみると、土地・建物・固定資産・有価証券など様々であり価値の評価方法も各々である。単純に土地の評価でみても、それがどういう土地なのかということで相続税が変わってくるらしい。農地であればいくらとか宅地であれば・・・とか。
複雑である。

2010年5月13日木曜日

第六感

ゴールデンウィークに友人との旅行の計画を何となく取りやめて、
親の電話と兄が帰省するからという理由で何となく実家に帰って、
祖父の見舞いに行って長寿についての記事を何となく書いた4時間後に
祖父が亡くなったのは偶然なのだろうか。

第六感のようなものは存在するのか。
実際存在するかどうかは大した問題ではない。

第六感と言えば、僕の無意識的能力の中に地震予知がある。寝ていると地震が起こる直前にぱっちりと目を覚ますのだ。夜に寝ていて、何故かぱっと目が覚める。そしたら地面が揺れる。その最初の体験は2005年3月に福岡の西方沖地震である。そのときは佐賀に住んでいて目が覚めて、しばらくして大きく揺れていた。それ以降、地震の多い関東地方に住み続けていて何度もそのようなことを体験してきた。地震についてはまだ解明されていないことが多い。ただ地盤や岩盤のズレの解消が地震であるとすれば、それに伴って相当な摩擦が生じるに違いない。それで電磁波が発生するとも言われているから、それの影響なのだろうか。何が直接の原因で起きるのかは分からないけど、とにかく地震の直前に目が覚めるのである。地震の前に、イヌがに吠えるように、ネズミが逃げるように、鳥が大群を作るように、ナマズが激しく動くように、僕は起きる。
だからといって、何か物事を有利な状況に導けるかというとそうでもない。目が覚めたとしても、地震がくるから目が覚めたと知覚しているわけではない。最近はぱっと目が覚めたときは地震が起きるのかなと思うようになったけれど、それにしても直前であるから特に何か対策をとることができるわけではない。大きな地震の時は目が覚めたら助かるとかそういうのではないみたいで、その人の生死は運の良さが大きな部分を占めるようだ。兵庫県の西宮という場所で阪神大震災の直撃を体験したらしい僕の親戚は地震の間ずっと寝ていて気づいたら揺れは終わっていて部屋がめちゃくちゃになっていて驚いていた。
動物は自然の中で生きていくにあたり、その変化の兆しを鋭敏な感覚で受容してきた。というよりも、鋭敏な感覚を持っていない個体は強大な自然の力によって淘汰されてきたに違いない。だから視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚以外にも感覚があっても何らおかしくない。
祖父の死の予兆を僕が感じていた可能性は否定できない。それと同時に全くの偶然という線も否定することはできない。

2010年5月5日水曜日

長寿

知念カマさんという世界最高齢である114才の方が亡くなった。そして、現在の国内最高齢は長谷川チヨノさん113才となり、僕の実家がある佐賀県基山町在住である。
1896年生まれだそうで、明治29年である(明治は45年まで)。この年はどういう年だったのか調べてみた。
世界はまだ帝国主義が主流でありフランスがマダガスカルを植民地化していた。
近代オリンピックがアテネで始まった。
伊藤博文が総理大臣。
宮沢賢治や岸信介、スコット・フィッツジェラルドが生まれた年。
日清戦争が1894年で日露戦争が1904年であるからその間でもある。

それにしても色々調べてみるとおもしろいことが出てくる。ギネス世界記録に認定されている長寿記録はジャンヌ・カルマンさんというフランスの女性で122才で亡くなった。男性は120才で泉重千代さんという方であった。ちなみに108才で茶寿、111才で皇寿、120才で大還暦、昔寿と言うらしい。120才なんて今までいったい何人の人が到達したのだろうか。
そう思ったら、ギネス非公認の記録であればとてつもない数字がどんどん出てくる。
李青曇という中国の人は256才まで生きたらしいし、日本でも満平という人は193才まで生きたということである。その他にも150才超の人はたくさんいるみたいだ。ちゃんとした記録が残っていないから疑わしいけど、昔は生年月日を正確に記録するなんていう風習はなかっただろうから真偽が分からないのは残念である。

2010年5月3日月曜日

実家へ帰省

実家に帰省。新幹線の始発に乗るために昨日は徹夜。
4時51分の目白発、5時20分ごろ東京駅着。新幹線の改札のゲートが開くのは5時30分なので、改札の前に人が列を作って待っていた。ぴ。ぴ。ぴ。ぽーん。と時報の音がスピーカーから流れていて、5時30分になった途端に改札を多くの人が通って、新幹線に向かって駆けていく。ゴールデンウィークの新幹線の席取りは少し覚悟がいる。その日の東海道新幹線の午前中は指定席とグリーン車はすべて予約が埋まっていた。新幹線ののぞみの場合、車両数10くらいの中で自由席は3つしかないから、文字通りのイス取りゲームとなっていた。
僕は家を出発した時間が早かったから、かなり楽に席に座ることができた。
本を読んだり寝ていたりしたら、すぐに博多に着いた。いつもは18切符で2日間かけている道のりが、5時間で済むわけだから、あっという間だった。5時間座っているのは大変という人がいるけれど、僕にしたら5時間くらいなら楽だ。
6日の昼には東京に戻るから、あまりゆっくりできないのは残念である。博多駅に着いてホームに出た瞬間から豚骨ラーメンの匂いがした。今回の帰省中に一回は食べようと決意。

2010年4月29日木曜日

古本祭りと活字離れ

池袋の西口公園で催されていた古本祭りに行った。春と秋に一回ずつ開催されているらしく、次は10月にあるとアナウンスされていた。今日は春の回の最終日であり、連休と重なったからかなかなか混んでいた。運動会などでみられるテントがはられていて、ブロックが6つくらいに分けられている。1つ1つのブロックが大きいから相当な数の本がある。欲しい本を探すために虱潰しに見ていった。欲しかった本があると嬉しくてつい買ってしまう。古本屋は普通の本屋と違って次に来たときにその本があるか分からないから値段が手頃だったらすぐに買うことを決めるのが多い。古本祭りの最終日という状況はそういう即決購入加減を加速させてしまい、11冊買って金額は3280円の出費を生み出してしまった。

最近の人は活字離れだとかよく聞くがそんなことはないんじゃないかと思った。神保町へ行った時も思ったし今回の古本祭りでも結構な数の人がいる。そこにいる皆が本を購入しているのか分からないし、それを実際に読んでいるのかも不明だけれど、出版不況と活字離れは比例関係にあるとは限らないと思う。
現在と過去を並べても様々なファクターが絡んでいるから単純に比較することをしてはいけないはずだ。しかし僕たちは重要でない要素を無意味な情報として扱い、複雑な構造を簡単な図式に変化させたがる。そういうやり方は間違っていないと思うが、複雑な構造を簡単な図式にしたこと自体を忘れてはいけない。
複雑系という科学では「初期条件のわずかな違いは、それに比例した程度のわずかな変動しか引き起こさない」という考えは間違っており、「初期条件に対する鋭敏な依存性」はカオスの最大の特徴と言われている。
複雑な構造を簡略化するとき、「これくらいの条件は無視していいだろう」とか「この条件は重要だ」ということを決める人間や団体の主観が強く反映される可能性があるから、恣意的に結論を誘導できる余地がある。これは意識的にデータを操作している場合のみでなく、無意識のうちに行っている場合もある。つまりデータを読みとるというのは難しいのである。そうだからと言ってむやみに怯えると進歩することができなくなるので、問題に取り組むときにあらゆる可能性があることを頭の隅に置いておくことと自身の客観性を懐疑的になる姿勢が重要であろう。

2010年4月28日水曜日

GW

5月2日から6日まで帰郷することにした。急遽決めたので飛行機は安くチケットが手に入らなさそうだし、新幹線を使うことにする。正月に帰って以来なので5ヶ月ぶりくらいである。のぞみの東京-博多間は295分だから、ほぼ5時間。目白から実家までのトータルでも6時間半くらいだ。のぞみは速い。18切符での鈍行の旅とか高速バスとかでなくて帰郷するのは非常に嬉しい。鈍行だと一日半かかるから一日分の時間を節約することになる。新幹線は約20000円で18切符は一日分2300円だから、差額は17700円。17700円÷24時間=737.5円/時間である。単純にそういう観点でみれば新幹線を使う方が得なように感じる。
もちろん鈍行の旅にもいいことはたくさんある。時間がかかるということはそれだけ読書できる。

2010年4月23日金曜日

新聞って。

新聞の販売員の人は何なのだろう。
いつもあの手この手で新聞を売りつけてくる。
これをあげるからあれをあげるから・・・。
いつもは断るのだけど、今回は唖然とする提案だったから
思わず新聞をとってしまった。

驚天動地とまではいかないけどカルチャーショック的提案。
ああいった提案は実は現実の日本社会では当然のことなのかもしれないなと思ったりする。

最近、けっこう読書してるなと自分でも思ったりするんだけど、
その時間分とか勉強している時間を含めてみると相当な時間で、
つまりまったく社会の生産活動に荷担していないなあと気づいた。
消費活動にのみ荷担している僕は資本主義の申し子的人間か。

そういう人間が、カルチャーショックを受けた!と言っても、
大したことでない可能性が高いけれど、本当にすごい提案だった。

2010年4月22日木曜日

だらだら書く

雑誌的な何かを作ろうと思う。
雑誌的な何かという非常に輪郭のぼやけたもの。
いや何かやりたいなあとは思ってずっときたけど、
何かやり始めないと何も始まらない
という当たり前のことに嫌気がさしてきたから、
ここで何かを始めるという非常に曖昧な話。

最終目標を雑誌化ということに向けるのだ。
雑誌を作るとなるとテーマが大事だ。
誰(何才くらいの人とか何が好きな人とか)に向けてというのも大事。

色々分からないことが多い。
プロではないわけ僕たちが知らない人間に向けて伝える何かを作れるのか。
そうすると仲間内に向けて作ることになる。それでもいいのかな?
自由ってのはやっかいだ。

僕が興味あることって何かという切り口で考える。
僕が興味あることはこれからの日本かな。
日本のどういうとこが気になるのか。
一つは財政破綻回避の方法。
一つは財政破綻後の社会の変遷。
一つは財政破綻とは何か。
一つは一次産業。
一つは産業構造。
一つは政治のあり方。
etc
結構いろいろなことに興味ある。

それで最初からテーマを絞るのは難しいことに気づいたので、
自分のブログに記事を書いていって、
時間が経ったら集めて編集して雑誌にするという手を考える。

続けざまに考えたことを列挙させてみる。
・ブログをそのまま載せるときっと訳がわからないようになるから、
編集するという作業で雑誌の記事っぽくいけるのではないかという案。
・それとかチャットで真面目な話をしてみて、それを編集して対談っぽくするという案。
・実際にインタビューに行くってのももちろんあり。
・卒論とか書いてると、脇道なんだけど興味をそそることがあったりするのでそれの発表の場。
・そうインプットはみんなしていると思うからアウトプットの場としての雑誌を作りたいのだ。

そうインプットはみんなしていると思うからアウトプットの場としての雑誌を作りたい。
それだ。

2010年4月20日火曜日

1Q84-book3

久しく投稿していなかった。
気温の変化が激しくて体調がよろしくないから、書こうとは思うけど書けなかった。

先日、村上春樹の「1Q84 BOOK 3」が売り出されたから早朝に神保町の三省堂まで買いに行った。普段はそんな時間から外出することはないけど朝6時に自転車で出発した。その時間、少し雨が降っていた。7時からの販売で5分前に着いたけど、すでに10人くらいが並んで待っていた。テレビや新聞も来ていた。NHKとTBSは生中継で伝えていた。順番を待って僕が買うときには、さらにうしろに20人くらいの人が列に加わっていた。スーツ姿のサラリーマンや初老の方が多い。ほとんどが男性だった気がする。
神保町三省堂は朝7時からだったけど、渋谷のTSUTAYAや青山ブックセンターでは日付の変わった00時から売り出されたみたいでそこでも結構な列が出来ていたみたいだ。村上春樹大人気である。
定年を迎えて暇になった団塊の世代が昨年の「1Q84」ブームの火付け役であるという報道があった。団塊の世代の人にとっての村上春樹を読むというのはインテリであることの証明であるということも書かれていた。

「1Q84」は近過去小説だ。ジョージオーウェルの「1984」が近未来小説であるからその反対にあたる。僕は1984年の12月24日生まれだから一週間だけだけども1984年を生きていた。だから自分の生まれた年を題材にした作品は親近感がわく。小説は一通り読んだだけでは本当の意味を理解することはできない。二度目三度目読むことで仕掛けに気づいたり全体の中での位置づけが分かったりする。深いような浅いような作品だったというのが今のところの僕の気持ちである。また読み直さなければ。

2010年4月14日水曜日

生命

坂東眞砂子『「子猫殺し」を語る 生き物の生と死を幻想から現実へ』を図書館で借りて読んだ。

2006年8月の日経新聞のエッセイはネット上、週刊誌上で話題になった。作家の坂東眞砂子が「生まれた子猫は殺す」という内容のものだ。こういう内容だから坂東は相当なバッシングを受ける。
その当時、僕もネット上でそのエッセイを読んだで、なかなか難しい問題だと感じた。ペットとして飼うイヌとネコに対して去勢をするという日本で当たり前に行われていることにちょうどそのころ違和感を感じていたからだ。

生命というのは不可解だ。我々人間も何故か分からないが生きようと必死だ。
僕は大学で分子生物学と生態学を学んだ。多くの生命現象を見ていて、それはマクロなものからミクロなものまでという意味だが、生命が生命である最大の理由や目的は自身の遺伝子を残すこと、つまり子孫を反映させることであると考えざるを得なかった。鳥のメジロがいかに環境に適応して小笠原でその数を増やしてきたか、分類学上生物ではないウイルスにしても宿主を利用して自身のDNAを残そうとしているなどその形は様々だ。

そのエッセイに対する反応は「殺された子猫がかわいそう。」というものばかりで、生命とヒトとの関係、ペットと人間の関係を改めて考えようとしたあのエッセイの本質はどこかに忘れ去られてしまっていた。

2010年4月11日日曜日

ミツバチの死の原因

昨年からミツバチが大量に死ぬ現象が起きていたけれど原因が見つかったらしい。
読売のニュースによると死んだミツバチからアカリンダニという害虫が見つかったということだ。アカリンダニがミツバチにウイルスを感染させる。そうするとミツバチは飛べなくなって死ぬ。アカリンダニは国外から検疫をすり抜けて入ってきた可能性が高いということである。
検疫というのは非常に難しい。小笠原諸島の母島に行ったときも「靴の底の泥を海に落としてから島に入ってください」と注意された。服についている植物の種子からも環境が激変する可能性がある。人間やモノの出入りがある以上、注意をしていても環境は変わる。小笠原諸島の南硫黄島に国の調査チームが行ったときは検疫がとても厳しかったらしい。南硫黄島は3キロ平方メートルの面積に900メートルの山があるという断崖絶壁の島で、難破した船の乗組員が少しの期間住んだだけで人間はほとんど入っていない。こういう島はとても稀で生物学的には貴重なのだ。調査チームは新品の物を真空パックして島に行った。帰りは排泄物はすべて持ち帰り、荷物に紛れ込んだ島の生物を外に出すとまずいので、荷物はすべて冷凍庫に入れるということだったらしい。かなり気をつけていたのだろうがネズミが一匹荷物と一緒に冷凍されていたという。それくらい環境を守るのは難しい。
閉鎖された環境で進化してきた生物たちは外の生物に対してだいたいの場合弱い。日本にあるタンポポも今では外来のセイヨウタンポポがほとんどだ。開放された環境で進化してきた生物は種間競争を勝ち残ってきた種であることが多い。それはつまり強い繁殖力、強い採餌力などが遺伝子上にあることでもある。ダーウィンの自然選択説はおおまかにそういうことである。

閉鎖している環境を維持するのはほぼ無理だし、そもそも日本は閉鎖している環境ではない。だから今回のアカリンダニの問題が解決したとしても、これから先もミツバチが大量に死ぬ可能性は大いにある。農業の多くがミツバチに依存している以上何らかの対策が必要だろうと思うけれど、何をすればいいのやら。

2010年4月9日金曜日

習慣について

つい先日から夜中にランニングをする習慣を再び始めている。
ランニングは結構長いことやっているけれど、
試験前はやめたり寒い日はやめたり足腰の調子が悪いときはやめたりと、
その習慣は厳格ではないのだけれど、
いったん習慣化されると走らない日は気持ちが悪くなってしまう。
雨の日に走らなかったりしたら、
やるべきことをやっていない居心地の悪い気分になってストレスになるというように、
その習慣は果たして体にいいのかと自問してしまうときがある。
11月にガスストーブが来て部屋が暖かい温度に保たれていると、
寒い夜に外を走ろうなんて言う気分はほとんどなくなってしまった。

今日はいいや、明日から走ろう。
ということを50回ほど繰り返したら春になってきたから、
最近走り出したのである。

習慣にするということでブログを毎日書こうとしているけれどなかなか難しい。
文章は駄文だし内容は薄い、さらに毎日は書いていないと目標は達成し得てないに等しい。

普段の生活では夜の11時頃にブログに何を書くかを考え始める。
そしてそれと同時にランニングの準備を始め、12時くらいからランニングに行き1時間走る。
ランニングしている中、最初は音楽を聴いているけれど一度考え事をし出すと音楽は全然頭に入っていない。
考えていて気づいたら、曲が何曲も過ぎていたり、
ずいぶんスタートから遠い地点にいたりと走ることを無意識にしていることも多い。

ブログに書く内容はそういったランニング中に考えているのである。
最初に何について書こうと決めて考え出すこともあるけれど、
たいていは適当に考えているうちに書くことが決まることが多い。

まだブログを毎日書くという習慣は初めて間もないので、
意識的に行っているけれどそのうち無意識になるはずで、
それまでは頑なに張ろう。

2010年4月7日水曜日

青色申告

さいきん個人事業主になる友人が二人もいて、
税理士を目指しているからそういうことについて詳しいだろうということで、
青色申告について同時に相談を受けた。

青色申告のことなんて全然知らないけど、
興味があるので本屋に行って本を買って勉強してみた。

個人事業の税金の払い方には
白色申告、青色申告と2つの方法がある。
青色の中にも簡単に2つに分けられる。

どう違うのかと言えば、税務書類の作成が簡単なものか難しいものかである。
難しいものであれば多くの特別控除額を受けられるというもの。
特別控除額とは税金がかからない収入のことで一番難しいものを作れば65万円の収入に税金がかからない。
まあそういったことが分かった。

個人事業を始めたい方は僕に相談すると詳しく教えてあげるかもしれません。

2010年4月4日日曜日

コーヒー(ルワンダ)


僕はコーヒーが好きである。
大学受験の勉強を喫茶店でしていたころから、
コーヒーを飲むようになっていつの間にかブラックで飲んでいる。
大学に入ってからは試験前の徹夜期間なども大いに飲んだし、
読書するときにも喫茶店で飲んできた。

数年前からコーヒー豆を自分で挽くようにもなった。
大学のそばのドリームコーヒーで豆を買うのだ。
豆を選んだり選んで貰ったりして味を試してみるのはなかなかおもしろい。
そこでどの豆がおいしいとか今どこの豆を飲んでいるとかを記録しようかと思った。
おいしいコーヒーというのはどれというのは一概に言えなくて、
豆の種類以外に焙煎の度合いであったり挽き方であったり入れ方であったり、
様々な要因で変わってくるものらしい。

今、僕が飲んでいるのはルワンダのニャルシザ・ファクトリーのブルボン種100%。
ルワンダはアフリカ大陸の赤道直下にある国で、
コーヒー豆自体は熱帯・亜熱帯の気候でなければ育てられないから最適な地域であるといえる。
これは味が濃くて深いわりに酸味が少ない。酸味はあまり人気がないので多くの人が楽しめるのではないかと思う。


ちなみに小笠原諸島父島でもコーヒー豆は作られていて、世界最北端生産地らしい。
残念ながらあまりおいしくはなかった。高価なのに。。。

2010年4月3日土曜日


夜に写真を撮るのは難しくって、播磨坂での写真はほとんどがぶれていた。
この写真は立教大学の図書館のそばにある桜。外灯を利用したからまあまあいい写真が撮れた。
そういえば100円硬貨の表に描かれているのは桜だそうだ。何となくずっとアジサイかと思っていた。

2010年4月2日金曜日

4月1日の分

さて1日は何やら忙しくていつの間にか過ぎていったから、
ブログを更新する前に日付が変わってしまった。

2009年度の最終日、
2月に受けた日商簿記の2級の合格の通知がきた。
100点満点で7割以上で合格でちょうど70点だったから、
本当にギリギリの合格だった。
試験の日、時計を持って行くのを忘れたから、
試験直前に明治大学の周りで安い時計を探したけど、結局みつからず試験に臨んだ。
試験開始30分、試験終了10分前に試験監督が告げてくれるので、
それを頼りにして時間配分をしたからまあ合格してよかった。時計のせいでもう一回受験したくはない。

昨日(4月1日)は暖かいけれど風の強い日だった。
夜に文京区の播磨坂に桜を見に行った。
桜並木の下に座り、見上げれば桜の花。
他にもたくさんの人がいて、時々強い風が空き缶などのゴミを運んでくる。

花見にブルーシートはつきものかもしれないけれど、僕はブルーシートが嫌いです。

2010年3月30日火曜日

目標

4月からの目標
「毎日ブログを更新」

ということにしよう。


毎日続けるのは大変そうであるけど、
続けてみて考えてみることにする。


何も考えずに過ごしている日はないだろうし、
本だって新聞だって読むだろうし、
それで何か思うだろう。

新たな学年になったり新たな生活が始まるわけではないから、
自分で始めないと何も変化はやってこない。



ところで最近パソコンで名刺を作ろうと思っているのだけど、
テンプレートにはかならず所属という欄がある。
そこでいつもとまっている。自分を一言で表すと何だろうと考える。
浪人だったり無職だったり。
無職はさみしいので、浪人を外国語で名刺に載せたいなと思う。

辞書で調べると
浪人
【受験生など】a {high school,college,university} graduate who is preparing for another chance to enter a {college,company}
みたいな感じらしい。
つまりは相応しい単語はないみたい。

どうするかなあ。

2010年3月13日土曜日

インターネット中

NHKクリエイティブライブラリー
http://cgi4.nhk.or.jp/creative/cgi/page/Top.cgi

NHKのクリエイティブライブラリーというサイトを見た。
今までNHKが番組などで使った映像を無料で我々に提供してくれるというもので、
利用者が編集してオリジナル作品を作ることもできるらしい。
多くの映像がきれいで見ていてなかなか飽きない。

さらにgoogleストリートビューで立教大学の池袋、新座キャンパス内が見られるようになった。
この他にも九州大学とか北海道大学とか京都のお寺などが追加されたようだ。


みなさん是非見てみてください。

2010年3月1日月曜日

時計

昨日は簿記の試験でした。
御茶ノ水の明治大学リバティタワーという立派な建物で受験しました。
これは大学なのかというような外観。
中身も高速で動くエレベータやデパートのようなエスカレータがあるので新鮮でした。
ただ大学の建物としては充分すぎるほどの設備を持っていながら、
教室に時計がないのはどうしてだろう。

今日は試験だったにも関わらず、僕は時計を忘れたので大変でありました。

2010年2月26日金曜日

スカイツリー



先日、東京スカイツリーを見に行った。
その時は3週間前くらいで289mだったけれど、
現在の時点では303mとなっている。
東京タワーの高さを超える日もそう遠くないようだ。

それにしても周囲はビル群ではないので、建設中の今でも圧倒的に高い。
あの位置での作業はどういうものだろうか。
眺めはいいだろうが気温は低いだろうし風も強いだろう。

また行ってみたい。

2010年1月23日土曜日

花粉症

今日こねこのO君に偶然会った。
そのときブログを全然更新していないことを指摘された。
久しぶりに書こう。

もうそろそろ春になる。
僕は四季の中で春が一番嫌いである。
花粉症だから。

アレルゲンは主にスギ花粉である。
10才のときからだから、15回も春を苦しみ過ごしている。
福岡市から佐賀の山に引っ越して、その春から花粉症になった。
花粉症はある花粉が体内に一定量蓄積すると発症するとも言われているから、
花粉のたくさんある地域に引っ越ししたことが花粉症を発症した一因かもしれない。
それにしても当時は花粉症なんてマイナーな病で、周りはだれも知らないし理解を得るのが大変だった。
今は国民の5人に1人が花粉症だから相当メジャーな病になったものだ。

今年は昨夏が冷夏だったから花粉の飛散量は少ないということで、快適な春が過ごせるかもしれない。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

初詣から帰ってきました。
福岡にある太宰府天満宮というところです。
菅原道真が祀っていて学問の神様として、こちらの地域ではとても有名です。
全国的に有名のなのかは分かりません。どうなのでしょうか。

菅原道真は京の権力争いに敗れて九州の大宰府に左遷されました。
そして失意のうちに39才で病により亡くなり、亡くなってからは政敵とその親族を次々と病死させました。
極めつけは、朝廷の会議中に雷を落とし何人もの死者を出したと言われています。
これらを道真の祟りと考えた朝廷は、菅原道真を京都に戻して最終的には太政大臣の位を贈ったことにしています。
予備校の授業で古文の先生が菅原道真は政府に左遷されて怒りまくったわけだから、その子孫たちであるような君たちが、受験の神様ということでお参りに行っても意味がないというようなことを言っていたことを思い出します。

とにかく今年もよい年でありますように。