2010年11月11日木曜日

パソコン到着

パソコンが届いた。
とてもうれしくてうれしくてそしてつかいにくい。なれるのには時間がかかりそうだ。
古いパソコンのほうは、まるでポールスミスの財布のように画面に七色の線が入っていた。人間の脳の処理能力はすごいもので、七色の線のことはすっかり忘れていた。見えてるんだけど。

何が使いにくいかというキーボード。配置とボタンの大きさが今までのと少し違う。

まあそうは言っても、そういう細かいことをすべてふっとばすような性能だからいいのだ。僕がグラフィックボード業界の王様と言っているNVIDIAというメーカーのチップが搭載されている。だからlinuxベースのubuntuという無駄に過剰な画像処理能力を要求するOSを入れてみた。楽しみだったけどバグってしまったから今度再挑戦してみる。ubuntuの何がすごいって動画をみたらわかるけど、プログラムを閉じるときにプログラムが燃えるような演出をするとかマウスを動かしたら画面上に波紋がでるとか。その波紋が画面の端に到達すると跳ね返って、角なんかだと跳ね返ったものどおし波がどうのこうのあれこれなっている。当然だけど、そういうのってすべて計算して画面表示されてるわけで適当そうに見えても結構大変なもので。DVDが高画質とかblue-rayはこう繊細だとか3Dは飛び出ないとか言ってる場合ではないのだ。

昔、夢見ていた遠い未来の姿を思い出す。たとえば、機械がカタコトな言葉で「オハヨウゴザイマス。オショクジハナニニシマスカ」とか聞いてきて、僕はそれに「目玉焼き」と答える。「ショクゴハコーヒーニシマスカ」とか色々面倒なことを機械がやってくれるというような未来。
でも考えてみたら、全自動で働くような技術がありながら機械がカタコトで語りかけてくるのはおかしい。そもそも心を読めと、今では思う。

話がそれた。つまり、理想の未来っていうのは必ずしも合理主義の極限ではないのだろう。だからパソコンの画面で波が漂ったり、雷が鳴っていたりするのも、いいもんだ。無駄ってことはない。

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