2010年11月6日土曜日

注意

このブログを読んでいる人からの感想によると、これのアイデンティティはひたすら何かに怒ることだそうである。では怒ろう。と言ってもいつも怒っているわけではない。いつも怒っていたらアドレナリン出っぱなしで体に悪い。それは避けたい。


先日、大学の図書館に行って勉強していたら、ぺちゃくちゃ喋っている学生たちがいた。そういえば、先週の同じ時間も同じ学生たちが同じようにうるさかった。僕はカフェで読書しているときも人の会話が気になる人間なので、静寂な空間で喋られているとかなわない。

注意するというのもなかなか面倒なもので、どういう風に注意するのがいいのだろうと考えるところから始まった。ウソみたいかもしれないけど以下のようなことを何分か考えた後注意に行ったのである。

例えば、僕が「うるせえよっ」っと怒鳴ったら、
「あなたの方がうるさいですよ、図書館なんだから静かに注意したらどうですか?」と周りの人に言われるかもしれないし、悪くしたら僕が注意した人にそう言われかねない。
だからこの怒り方は却下することにした。

次に「うるさいから静かにしてくれない?」と半笑いで丁寧に提案してみると言う案。
「(うわ、なれなれしいな)」と思われ、「いやです」と断られるかもしれない。そうするとわざわざ半笑いをしていた僕の顔は無駄になる。そして僕の怒りは倍増し、最初の「うるせえよっ」案に戻ることになる。
ゆえにこれも却下せざるを得ない。

この二つの例は、以下の数直線に示すように怒りの感情の軸の両極端に位置するわけで、
中をとればいいわけである。ではどの△の場所ををとればいいのか。


     ▽丁寧な案         ▽怒鳴る案
(冷静)<------------------------------------------>(怒り)
         ▲  △新しい案  △


その時の僕は▲のあたりを採用した。

彼らの席に近づいていって無表情に不機嫌そうに「うるさいからしゃべるな」と言って、ぱっと翻って自分の席に戻ったのである。我ながら華麗であった。そして彼らはしゃべるのをやめた。こういうときは謝罪されると思っていたけどそうでもないみたいだ。

後々面倒な事態に巻き込まれるかもしれないから、こういう注意は個人がするのではなく、図書館の人がすればいいんだけど、気づいていないのか面倒だったのか放っておかれた。そういうときは仕方ない。僕がやるべきなのだ。見た目がちょっと恐いだろうしこっちが年長だろうから。

しかるべきときに注意を受けなかったら、彼らにとっても不幸なことである。喋ったらいけないところで喋っていたら、例えば僕よりも強面で腕に入れ墨が入っていたり手にメリケンが装着していたり懐にはじきが入っていたりする人がいる場所だったりしたら、とんでもない注意を受けていたかもしれない。口だけではなく痛みを伴うやり方かもしれない。
そう考えると注意するというのはなかなか親切な行為である。ただし自己陶酔が混じっていたことも認めざるをえない。
注意一つするのもなかなか考えさせる。

まだまだ書き足りないので次回へつづく。

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