2010年4月29日木曜日

古本祭りと活字離れ

池袋の西口公園で催されていた古本祭りに行った。春と秋に一回ずつ開催されているらしく、次は10月にあるとアナウンスされていた。今日は春の回の最終日であり、連休と重なったからかなかなか混んでいた。運動会などでみられるテントがはられていて、ブロックが6つくらいに分けられている。1つ1つのブロックが大きいから相当な数の本がある。欲しい本を探すために虱潰しに見ていった。欲しかった本があると嬉しくてつい買ってしまう。古本屋は普通の本屋と違って次に来たときにその本があるか分からないから値段が手頃だったらすぐに買うことを決めるのが多い。古本祭りの最終日という状況はそういう即決購入加減を加速させてしまい、11冊買って金額は3280円の出費を生み出してしまった。

最近の人は活字離れだとかよく聞くがそんなことはないんじゃないかと思った。神保町へ行った時も思ったし今回の古本祭りでも結構な数の人がいる。そこにいる皆が本を購入しているのか分からないし、それを実際に読んでいるのかも不明だけれど、出版不況と活字離れは比例関係にあるとは限らないと思う。
現在と過去を並べても様々なファクターが絡んでいるから単純に比較することをしてはいけないはずだ。しかし僕たちは重要でない要素を無意味な情報として扱い、複雑な構造を簡単な図式に変化させたがる。そういうやり方は間違っていないと思うが、複雑な構造を簡単な図式にしたこと自体を忘れてはいけない。
複雑系という科学では「初期条件のわずかな違いは、それに比例した程度のわずかな変動しか引き起こさない」という考えは間違っており、「初期条件に対する鋭敏な依存性」はカオスの最大の特徴と言われている。
複雑な構造を簡略化するとき、「これくらいの条件は無視していいだろう」とか「この条件は重要だ」ということを決める人間や団体の主観が強く反映される可能性があるから、恣意的に結論を誘導できる余地がある。これは意識的にデータを操作している場合のみでなく、無意識のうちに行っている場合もある。つまりデータを読みとるというのは難しいのである。そうだからと言ってむやみに怯えると進歩することができなくなるので、問題に取り組むときにあらゆる可能性があることを頭の隅に置いておくことと自身の客観性を懐疑的になる姿勢が重要であろう。

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