2011年4月27日水曜日

違うタイプ

今日は1日が順調に進んで、今日はいい日だったなあと思いながら寝られそうだったのだが、さっき電話をして気分が悪くなってしまい、しまいには吐き気を催してしまった。簡単に言えば、誤解が原因で思いっきり感情をぶつけられた。その後、誤解であることを互いに理解したのだが、非常に疲れた。

僕はあまり感情を表に出さないようにしている。負の感情の場合は特に気をつけている。腹が立っても、悲しんでも、相手に感情をぶつけたところで良い結果はでないと思うからだ。それよりも理路整然と腹の立っていることや悲しみを伝える方がずっと建設的だと信じている。

そういう接し方をしていると僕の心は広いとか優しいとか勘違いされることがしばしばある。とんだ間違いであるが、僕はかなり広めの心を持っていると思われる。そんなことはない。むしろ人よりも心が狭いとさえ思っている。あれこれこだわりが色々あって、ある範囲を侵されたらとたんに不機嫌になる。不機嫌にはなるがただの不機嫌さは不毛だと考えて抑えているだけなのだ。不機嫌になると面白い話にして友人に話したり、twitterやブログに吐き出してランニングして奇声を発するかという極めて周囲に迷惑のかからなさそうな解決策に飛びつくようにしている。
それで収まらなくても、表に出さず腹の中にしまう。おそらく胃潰瘍になるタイプだ。よく胃液が出る。僕はそういう人間だ。

そうでないタイプの人間がいることを僕はよく忘れてしまう。思考過程とか価値観とか決定的に違う人がいるという明白な事実の認識はとても大事だ。まあそれを胸に抱いて日々生活しても、思いも寄らない部分に違いが潜んでいるから、誤解や摩擦や衝突が生ずるのを避けることはできない。
僕のタイプが水や氷で冷そうとすると、他のタイプの対極として火がちょっとついたら感情の塊を直球で僕に投げ込んでくる人がいる。激情型。熱い話をしていく。そういうタイプのやり方で非難をされたりすると僕も我を忘れてしまうことがある。貯めていた感情が吹き出してしまい、あとであれは言い過ぎたとか不毛だったなとか思う。その激情タイプの人はそれが正しいと信じてやまないようで、対極である僕のタイプとはおそらく永遠に理解し得ない。

かく言う僕も自分のタイプが正しいと思い、その理屈もつらつらと100種類は挙げられるがここでは挙げないことにする。おそらくどちらの極も正しいわけではなく、自分と相手の中間あたりの場所に正しさがあると考えるべきだ。というようなことを僕が書いても思ってもこれから起こるであろう様々なトラブルに上手に対処できるとは思えない。上手に対処するにはこれらのタイプがいて自分と相手の中間あたりに正解がありそうということを踏まえた上で、自分と相手の立ち位置や距離を見極めていかなければならない。これは次への課題である。

ただ表に出ないから感情をぶつけても大丈夫だというわけではない。人並みに心が痛むし、疲れるということを心に留めておいてもらえると僕にとって生きやすい世の中に近づく。

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